北村有起哉さんと久世星佳さんの二人芝居で、栗山民也さんの演出だなんて、必見ですよね。
俳優座は演劇を観る場所として、個人的にかなり好きな劇場です。
舞台は南アフリカのポート・エリザベス。寝たきりの父親の看病をしている弟(ジョニー)のところに、何年も前に家を出て行ったきりだった姉(ヘスター)が突然帰ってきた。ヘスターは遺産(保証金)を探し出すために、家中の箱という箱をジョニーに運んで来させて、どんどんと開けていく。しかし出てくるのはお金とはほど遠い、思い出の品(がらくた)ばかり。
暗くて、つらくて、哀しくて、どこにも出口がない袋小路に行きついて、息も出来ないような、不幸な若い男女の数時間のお話。途中休憩を挟んで2時間20分でした。前半はちょっと長く感じました。北村さんは等身大でリラックスされていたのですごく引き込まれたのですが、久世さんがちょっと空回りしているような感じで集中できなかったんです。しかしながら後半は、姉弟それぞれの人格がじわじわと迫ってくるように明らかになってきて、私はその哀しみに共感して涙がこぼれました。ネタバレします。
必死で“何か”を探している二人をじっと見ていて、いたたまれない思いが胸にこみ上げました。まるで私自身を見ているような気持ちになったのです。私も誰かを失って、その人の残り香を感じながら生活している中でしみじみと感じているのですが、物(もの)には心がある、魂が宿っていると思うのです。母親が昔着ていたワンピースを泣きながら抱きしめるヘスターや、父親が使っていた松葉杖を離そうとしないジョニーを見て、やはり誰もがそうなのだと確かめました。
ジョニーは、父親の看病をして生きることを選び、機関士学校に行くのを自分から断念して家に残りました。彼の人生は常に「万が一の時のため」の人生であり、箱の奥にしまわれたままでした。優しさの仕業とはいえ、自分で自分を殺してしまっている人は今のこの世でも本当に多いと思います。
お金を探しているうちにヘスターは、自分が「たった一つでいいから、私の人生が楽しかった時のものを見つけたい」と思っていることに気づきます。私もすごく共感しました。私の周りに有る沢山のモノたちの中で、本当に私が幸せだったことを思い起こさせてくれるようなものは、あるのでしょうか。ヘスターが決して履くことの無かった可愛らしいピンク色の子供靴が出てきた時はつらかったです。そうやって舞台に居るヘスターがどんどんと私に迫ってきて、私に、私自身の心の奥を見るように仕向けました。
『ハロー・アンド・グッバイ』は「出会って別れる」という意味ですよね。弟と姉は出会ったけれど、すぐに別れます。きっともう二度と会うことはないのでしょう。けれども二人は出会ったことで、前とは違う人間に変化しました。ヘスターは父親が死んだことを知ることによって、本当の意味で孤独になり、自立します。ジョニーはヘスターに父親の死を話したことでやっとそれを受け入れることができ、松葉杖をつきながらも一人で立つことが出来るようになります。「復活」という言葉でこの作品の幕が下りるのは、まさにそれを象徴していると思います。
「沈黙とは、待つことである」というセリフ(完全に正確ではありません)には心底納得しました。私達はこの先に未来があるとわかっていて、それを大切にして期待している時は、黙ります。先のことを考えないで、その場しのぎの存在になっている時は、人間は多弁なものです。
北村有起哉さん。ジョニーが汽車で働くための学校へ行くのを断念したいきさつや、ものすごく過酷な肉体労働をしていた父親が、最後に母親となる女性に出会ったこと等、長く語る演技が素晴らしかった。常に情景が目に浮かぶように伝えてくださいます。そして自然でした。不遇のジョニーがいとおしかった。
久世星佳さん。全体的にちょっとセリフが走りがちで上滑りしていたように感じました。でも後半では熱い心が伝わってきました。スリップ姿がセクシーでかっこいいです。
作=アソル・フガード/訳=小田島恒志 演出:栗山民也
出演:北村有起哉 久世星佳
美術:妹尾河童 照明:勝柴次朗 音響:斉藤美佐男 衣裳:宇野善子 舞台監督:上村利幸 演出助手:宮越洋子 舞台統括:荒木眞人 宣伝写真:玉川豊 宣伝美術:倉井陽子 企画制作:俳優座劇場
俳優座劇場:http://www.haiyuzagekijou.co.jp/menu.html