2004年09月09日
ウォーキング・スタッフ プロデュース『ハレルヤ』09/03-12THEATER/TOPS
和田憲明さんが脚本・演出を手がけるウォーキング・スタッフ。今回は主演に田中美里さんを迎えて、やっぱりハードなストーリー。
大人の恋愛って危険です。いや~な意味で命がけ。だからシビれるんです。
夫の幸男(奥田達士)が破産して蒸発し、頭のおかしくなった姑(田島令子)と汚い倉庫で暮らしながら、水商売をして借金を返さなければならなくなった女・樹里(田中美里)の話、というだけでゾっとする怖さがあります。
ウォーキングスタッフは役者さんの演技がすごくリアルで、今回もお話の中にどっぷり浸かり込みました。舞台は、樹里と姑が暮らす半地下にある薄汚い倉庫。逃げるようにそこに転がり込んだのが夏で、そこから半年間お話なのですが、終盤に「劇場のクーラーがちょっと寒いなぁ」と感じるまでは自分が劇場にいることさえ忘れていました。
テレビや映画の世界で氾濫している「あなたさえいれば、何もいらない!」「愛しているのに結ばれないなら死んだ方がまし!」等と軽々しく言い切ってしまうラブストーリーとは一線を画しています。同じく命がけとは言えど、シェイクスピアなどの古典の世界で描かれる、男女の清らかな愛とも違います。
現実の世界で大人は、恋愛だけに身を任せたりできません。その前に生活がありますから。金を稼がなければ食べていけない。好きになった人に夫がいた。前夫との間の子供を育てている。痴呆の母の面倒を見なければならない。膨大な借金で首が回らない。秘密を握られている人に脅されている・・・等、年を取れば取るほど、逃れることが出来ないしがらみがあるものです。そのところをきっちり描ききりながら、それでも人を好きになってしまう男と女の痛々しい恋が描かれました。(この後ネタバレします)
樹里は、自分を食い物にしようとしているヤクザの金子(鈴木省吾)に頼るしかなく、体の関係を持っていく内に次第に金子も樹里に惹かれて行きます。このヤクザと売春婦の恋っていうだけで肌がヒリヒリするような激しさです。色っぽいんですよねぇこのギリギリな感じが。
義理の兄(朝倉伸二)が樹里のことを不憫に思い、自分の土地を売って借金を全部返してくれるという夢のような幸せが訪れるのですが、一筋縄ではいかないのが和田憲明さんの脚本です。最後の最後に消えたはずの幸男が現れたのは衝撃でした。「女はせつないね。男ってひどいね。」という姑のセリフがリフレインします。
死んだと思っていた幸男が帰ってきて、復縁を迫られ、どうしたらいいのかわからずに動転している樹里のところに現れたのは、顔にあざを作り、びっこを引いていて、どうやら指も詰められている金子でした。そして樹里は・・・この決断がすごく面白かったです。樹里は「自分をここから連れ出して欲しい」と金子に頼みますが「でも、その前に5分だけ一人にして」と言って、舞台には樹里だけになります。女っていったい何なんだろうって考えました。たまたま運悪く翻弄されて、その中で本気の恋に出会ってしまい、だけどそれでは幸せになれないことがわかっているから、また誰かの優しさに頼ろうとした。でも、そこに彼が現れて・・・。同じ女として、自分だったらどうするだろうと真剣に考えましたね。
場面転換の度にきっちり暗転し、次のシーンになった時には細かい小道具が片付けられていたり、新しいものが登場していて、その部屋の状態が具体的によくわかります。演出部の転換稽古、すごいんでしょうね。
弦楽器の音楽が全編で流れていました。映画『パリ・テキサス』の音楽(ライ・クーダーの演奏)がぴったりでした。ヨーヨー・マの有名な曲もありましたね。あれはどうかと思いましたが。
田中美里さん。樹里役。好きな男のためなら何でもしたいと思ってしまったり、自分で決心できずにいつも他人の望むとおりに生きてしまうというような、女らしい性質が無理なく伝わってきました。たぶん、田中さんご自身が気が弱くて優しい方なんだろうなーと思いました(違うかもしれないけど)。
田島令子さん。姑役。息子の幸男がいなくなったことを受け入れられず、少し狂ってしまう演技がすごく細かくて気迫がこもっていました。こういう演技を見ると、女優という職業のかっこ良さに惚れ惚れします。帰ってきた幸男に対して知らない振りをする顔も、凄みがありました。
脚本・演出:和田憲明
出演:田中美里 鈴木省吾 朝倉伸二 奥田達士 森山栄治 田島令子
照明:佐藤公穂 音響:早川毅(ステージオフィス) 音響プラン・オペレーション:長柄篤弘(ステージオフィス) 舞台美術:塚本祐介 舞台監督:向井一裕 演出助手:小川いさら 小道具:奥村亜紀 衣装:沢木祐子 安才由紀 特殊効果:Vanity Factory 宣伝美術:ラヴ&ピース川津 写真:アライテツヤ 制作協力:島田淳子(J-Stage Navi) ネルケプランニング 石井光三オフィス 制作:石井久美子 松田誠
シアタートップス:http://members.at.infoseek.co.jp/theatertops/
TBS/Bunkamura『RED DAMON』08/31-09/08シアターコクーン
野田秀樹さん作・演出の『赤鬼』3ヴァージョン連続公演です。出演者はもちろんのこと、舞台装置や演出もそれぞれ違うので、ぜひとも比べて観たい企画です。ロンドン・ヴァージョンから幕を開けました。
どうやらどんどんと良くなっているらしく、私が観た回はカーテンコールは3回だったのですが、昨日なんて5回だったらしいんですよ。
BunkamuraのHP内のページ「赤鬼とは」に『赤鬼』のこれまでの上演歴とあらすじが書かれています。
あらすじを引用します↓
“村人に疎んじられる「あの女」と頭の弱いその兄「とんび」、女につきまとう嘘つきの「水銀(ミズカネ)」が暮らしていた海辺の村に、異国の男が打ち上げられたことから物語が始まる。
言葉の通じない男を村人達は「赤鬼」と呼び、恐れ、ある時はあがめ、最後には処刑しようとする。彼と唯一話ができる「あの女」も同様に処刑されそうになる。「水銀」と「とんび」は捕らえられた二人を救い出し、赤鬼の仲間の船が待つ沖に向かって小船を漕ぎ出すが、船影はすでになく、四人は大海原を漂流するのだが…。”
シアターコクーンの真ん中に、ひし形の小さな舞台が作られていました。四方から観客が囲みます。全体は木目調で、ところどころに苔を表す青緑色が入っていて、長い歴史があることが感じられます。美術・衣裳はtptでもお馴染みのヴィッキー・モーティマーさん。緑、茶色、水色などのペットボトルが天井から無数に吊り下げられていて、照明が当たるとシャンデリアのようにキラキラと輝きます。ペットボトルは、海から浜辺にたくさん打ち上げられてくる瓶を表しており、その瓶が原因で赤鬼のヒデキ(野田秀樹)と、ヒデキをかばう“あの女”(タムジン・グリフィン)が裁かれ、牢屋に入られるのですから、その美しさには切なさが映ります。
アンティーク調のワードローブ(洋服ダンス)が、前も後ろも開いて扉になったり、横に倒されてバーカウンターになったり、船になったり牢屋になったり・・・野田マジックには毎度うっとりです。『パンドラの鐘』@世田谷パブリックシアターでも、扉の枠になったり、棺になったりする木の台(のようなもの)がありましたよね。
あまりに悲しい結末だったことに、素直に驚きました(ネタバレします)。さまよう小船の中で先に息絶えてしまった赤鬼の肉を食いつなぎ、もとの浜辺に生還した“あの女”と“水銀”と“とんび”の3人でしたが、自分が赤鬼を食べたのだと知った2日後に“あの女”は自らの命を絶ちます。赤鬼がこの地に来た事、出会って話をして分かり合った事、そして4人で村を捨てて海に逃げた事が、“あの女”の死によって消えない思い出になりました。“あの女”がフカヒレだと思って食べていた肉が、実は人肉であった事を知るくだりはオープニングでも演じられていて、観客は最初から結末の決まっていた悲劇を観ていたことに気づき、如何ともしがたいやるせなさを感じるのです。
俳優が体をゆっくりと前後に揺らし始め、リズムを揃えながらだんだんと大きな揺れになり、ついには数人が舞台の端から端へと走り抜けるという動作で、波が打ち寄せる様子を表します。何事も無かったかのように打ち寄せる波が舞台を優しく包み、海の向こうの悲しいお話が消えていきます。あまりの美しさに涙が溢れてきました。
野田さんはいつもの野田さんらしく、見事にきたえられた体の動きを見せてくださいました。そのせいもあって、他のイギリス人の役者さんの動作や立ち姿がきれいに見えなくて、最初から最後まで集中させられっぱなし、というわけではありませんでした。ちょっと退屈したりもしましたね。同時通訳のイヤホンガイドもその原因の一つです。でもイヤホンガイドがあったこと、しかも無料だったのには心から感謝しています。あれがなかったら何も分からなかったです。
パンフレットの役者さんのインタビューで、村人役のトニー・ベルさんが野田さんの印象についておっしゃるには、「イギリスの演劇は台詞重視で動きの無いものが多いのですが、動きを多く採り入れているところが気に入っています」とのこと。やっぱりそうか、と納得しました。体を動かすということには慣れてらっしゃらないのですね。茶道や華道、能、狂言、歌舞伎の国である日本では、手を伸ばす、足を一歩前に踏み出す、顔を上げる等の単純な動き一つにも、かけがえのない命を感じさせるような緻密さが求められる傾向があります。野田さんのお芝居において、イギリスの役者さんの動きは少々緊張感に欠けているように見えました。
台詞においては、日本人が出演するいつもの野田さんの作品とは違って、ゆっくりしっかり届いてくる感覚がありました。言葉を発する姿勢の力強さというか、存在の重さが感じられるのです。
また、ロンドンはそもそも外国人が沢山集まって機能しているメトロポリスだそうで、単一民族国家に近い日本で暮らしている私たちとは、感覚がかなり違うようです(SEO氏の日記より)。一人の異邦人を化け物扱いするということに、それほど共感がないみたいなんですよね。だから、異物に出会った時に自動的に体から染み出してしまう怒りや、やっとのことで培うことのできた異邦人との友情を、彼の死によって失ったことへの悲しみなどの感情が、あまり強くは現れていませんでした。むしろ冷静に眺めているような感じです。イギリスの歴史において「海から来た侵略者」に出会ったことがないのも、関係があるのではないでしょうか。
頭の弱い兄の“とんび”役のマルチェロ・マーニィさんが、とても柔軟で優しかったです。道化役として悲劇的な作品を客観的に観て伝えてくれたので、さらに物悲しさが増しました。
タイ・ヴァージョンはどうなんだろうなぁ。すごく楽しみ!
作・演出:野田秀樹 翻訳・脚色=ロジャー・パルバース ロンドン版脚色=野田秀樹&マット・ウィルキンソン
美術・衣裳=ヴィッキー・モーティマー&ミリアム・ブータ 照明=リック・フィッシャー 選曲・効果=高都幸男 演出助手:石丸さち子 舞台監督:TOMY 富川 カンパニーマネジャー:加彩エミ
出演= 野田秀樹 タムジン・グリフィン マルチェロ・マーニィ サイモン・クレガー ジェイソン・ソープ サマンサ・マクドナルド トニー・ベル ヨハネス・フラッシュバーガー
Bunkamura内『赤鬼』サイト:http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/event/akaoni/index.html