三谷幸喜さん脚本・演出の女一人芝居。戸田恵子さんがミヤコ蝶々さんを演じます。
三谷さんだし♪戸田さんだし♪♪ そういう期待を裏切らない面白さのその上に、一人芝居というジャンルにも挑戦している、完成度の高い作品でした。
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ネタバレします。これからご覧になる方はお読みにならない方がいいです。
私がミヤコ蝶々さんのことを初めて見た時、彼女は芸能界のご意見番的存在でトーク番組に出てらっしゃいました。ご夫婦で漫才をしている芸人でらしたことも、この作品で初めて知ったのです。だからこの作品が蝶々さんのありのままを描いたのか、それとも三谷さんの創造が多くを占めているのか全くわからないので、一人の女の物語として楽しむことにしました。
蝶々さんの楽屋に彼女の自叙伝を出版したいという記者が訪ねてきて、蝶々さんが彼に自分の人生を語っていくという設定でした。他人に説明していく形の一人芝居というとオーソドックスなのですが、この設定は最後にひっくり返されるのが三谷流。
三谷さんって、脚本が面白いだけじゃなくて、演出家としてすごい手腕を持ってらっしゃるんだなと改めて感心させられました。ジャンルとしては確実に一人芝居なのですが、私は普通のお芝居だと思って観ていましたね。
特に装置をいじることなく、温泉旅館、アパートの一室、鰻屋の2階、暗い病室などへの場面転換をすんなり成立させて、一人芝居の制約・不自由さを全く感じさせません。また、戸田さんが舞台美術の中に普通に置いてある小道具を使って、ササっと観客の前で衣装を替えて7歳の子供になったのには驚かされました。
視線や身振り、照明によって、対話している相手を巨人に見せたり小人にしたしするのは特に面白いアイデアでした。舞台に戸田さん一人しか居ないことは「一人芝居」なのですから明らかです。そこで戸田さんが普通の人間と普通に話す演技をしても、それは「舞台上で許された嘘(実際は舞台上に人は居ないけれど、居るものとすること)」の枠を超えません。しかし、登場人物を人間にはありえない形状(背丈5mの巨人)にすることによって、存在していない役に新たなアイデンティティーが与えられ、本当は居ない人間がしっかりと舞台上に居て、戸田さんと話をしているように見えてくるのです。
私は、暗転中や場面転換中に感動できるかどうかを、作品を味わう一つのポイントにしています。舞台から役者が消えて、劇場が真っ暗になり、音楽だけが流れるのに身を任せている時、もしくは、言葉がない空間で美術、照明、音楽が奏でる物語世界を全身で感じている時に、涙が溢れてくることがあるのです。この作品でもそういう瞬間がありました。前半と後半の間の衣装替えの時間に、マリンバと打楽器の生演奏が、戸田さん、ミヤコ蝶々さん、大阪の女たち、そして客席の観客全員を優しく包んでくれました。
戸田恵子さんは愛知出身なのですが、ところどころイントネーションが違うところはあれど、「いかにも大阪の女だなぁ」と関西出身の私が納得できるぐらいに、リアルなしゃべり方をマスターされていました。言葉って、語や音の違いだけではなくって、その言葉自体に文化が入っていますよね。戸田さんは大阪弁の心を体得されていたと思います。そのためか、「ほんと、大阪の女ってこうなんだよね・・・」と、個人的な思い入れを頭からはずすことが出来ないまま、最後まで観ることになりました。だって、「これって私のことじゃない!?」って思ってしまったから(苦笑)。心にグサっとささることが多くって、つらくもなりました。「“誰かのために”といつも言い訳して、実は自分が臆病で傷つきたくないだけだった」ということ、どんな女の人にも図星かもしれませんね。
小竹満里さん(マリンバ・打楽器)と山下由紀子さん(打楽器)の生演奏が素晴らしいです。奏者のお2人も戸田さんも、舞台上に居るのは全員女性ですね。三谷さんが、ミヤコ蝶々さんを通じて全ての“尽くす女(および尽くしていると思っている女)”への愛をくれたように思います。
《東京公演→大阪》
作・演出 三谷幸喜
出演 戸田恵子
生演奏 小竹満里、山下由紀子
美術:堀尾幸男 照明:服部基 音響:井上正弘 衣裳:黒須はな子 ヘアメイク:河村陽子 演出補:白井美和子 舞台監督:松坂哲生 宣伝美術:高橋雅之 宣伝写真:西村淳 製作:伊東勇 プロデューサー:佐藤玄 制作:毛利美咲 企画協力:(株)コードリー 制作協力:松竹芸能(株) 協力:日向家 企画・製作:(株)パルコ
公演サイト:http://www.parco-play.com/web/page/information/naniwa_butterfly/