ヒンドゥー五千回は扇田拓也さんが構成・演出される劇団です。前作に比べると抽象的で実験的な要素の強い作品でした。私は今回の方が好みです。『ハメツノニワ』は2003年4月初演で、今作は再演です。
白くてきれいな砂がまんべんなく敷き詰められた、だだっぴろいステージ。シアタートラムの舞台の石壁がほぼ露出されています。天井まで長くのびる梯子が、舞台中央奥の壁に立てかけられており、舞台上には椅子が2脚向かい合った形でシンメトリーに置かれています。石と砂でできた空間にポツンと家具がたたずむ風景が美しいです。こちらに舞台写真(初演時)とあらすじがあります。
4つぐらいのそれぞれ独立したエピソードの組み合わせになっており、ほぼ全てが1人~2人芝居です(1つだけ3人芝居あり)。
最初は音にも声にもセリフにも、ずーっと違和感を感じて集中できず、非常につらい1時間だったのですが、後の1時間は面白く観られました。上演時間が2時間たっぷりあったのですが、1時間ちょいにまとまってくれたらなぁと思いました。
ここからネタバレします。引用するセリフはその大意を書いているだけで、完全に正確ではありません。
エピソードは、消火栓(消火器?)に向かって話しかける男、人を殴り殺してしまって死体を前にあせる男2人、同じ本を交互に音読して遊ぶ男2人、ろうそくに向かって語りかける男・・・など。
テーマは「人間は自分の都合の良いように記憶を消去してしまう」「人間は欲深で醜い。砂は美しい。」「だけど、人間は人間とつながり合いたい」というようなことでしょうか。
・消火栓に向かって話しかける男
開幕していきなりセリフが受け入れられず、役者さんの演技にも集中できませんでした。あの長い時間を一人で持たせるのは大変だとも思います。後から他のエピソードとつながるのですが、そこは面白かったです。
・死体を前にあせる男2人。
死体(扇田森也)が踊るシーンが美しかったです。死体はこれから静かに土に、砂になって美しくなっていくけれど、生きている2人は汚れたヒトであり続けるんですね。だからどっちが本当の意味で「生きている」と言えるのかと、問いかける演出だったように思います。あせる男2人のセリフのやりとりはまどろっこしいし、繰り返しも必要なかったんじゃないかと思います。そういうところが実験的というか、もっと方法はあると思います。
「今ここにある砂は、どれだけの死体から出来ているんだろう」というセリフが良かったです。(このシーンだったかな?)
・同じ本を交互に音読して遊ぶ男2人(後から関連エピソードあり)。
ガンガンと力任せに怒鳴り続けるので最初の方は苦痛でした。後から出てくるエピソードとつながってくるので、そこまで耐えて最後まで観て良かったです。
中島みゆきの“わかれうた”を思い出しました。 ~恋の終わりはいつもいつも 立ち去るものだけが美しい 残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて泣き狂う~ あんなに楽しい時間を過ごした2人だったのに、片方は楽しかった時間も、遊んだ相手のことさえすっかり忘れてしまっていた・・・・忘れずに待ち続けていた方にとっては死ぬほどつらいことだと思います。でも、執着するからつらいし未来がないんですよね。捨てられるには理由があると思います。でも、そういうみっともないのが人間だ、ということで・・・。
「口は災いの元」というセリフは聞きたくなかったな・・・。後のエピソードだけに出てくるようにする方が、スマートな気がします。でも本当に「口は災いの元」なんですよね。無言で遊び続けるシーンでそれがよくわかりました。
・ろうそくに向かって語りかける男
これも一人芝居だったのですが、言葉がとても聞きやすくて、はっきりと気持ちも意味も伝わってくるなぁと思ったら、主宰の扇田拓也さんでした。
「砂は美しい。人間は欲深い。」「死んだら身体はゆっくりと解けて骨だけになり、骨はさらに何年もかけて石(砂)になる。」「いつか土に、砂になりたい。だから自分が死んだら誰かに自分を埋めてもらいたい。」「君(ろうそく)にはムリだよね。人間には手があるんだ。だから、自分を埋めてくれる誰かに出会いたい・・・」という流れでした。このシーンを観ている時にふと気づきました。この作品は詩の朗読のようだな、と。演劇だと思って観ない方がいいな、と。演劇だと思ったらちょっとイライラしちゃうんです。だけどこれはポエムで、とても個人的なつぶやきなのだと思えばすんなり受け入れられました。
「石や砂はなんて美しいんだ。生きている人間のなんと醜いことか。」私もこういう気持ちになることがよくあります。たとえば、毎年秋になると約束どおりに黄金色に紅葉してくれるイチョウの木々に出会う度に、感謝の気持ちがこみ上げてきて涙が出そうになります。変わらずそこに在り続けること。これ以上の愛はないと思います。
音楽自体はすごく作品とマッチしていると思いましたが、音量が突然大きくなったり小さくなったりするのは、あまり心地よいものではなかったです。セリフについても、いきなり大声で怒鳴ったり、何かにつけて大笑いするようになりますし、動きについても突然踊ったり、走ったりします。急にポジティブな、ダイナミックな方向に変化して観客に噛み付いてくるような演出が多いです。それをヒンドゥー五千回の個性だと言うのも可能ですが、私にはまだまだ発展途上の実験段階で、これからもっと洗練させられる余地があるように感じられました。
世田谷パブリックシアター第9回くりっくフリーステージ演劇部門参加作品
構成・演出:扇田拓也
出演:谷村聡一・久我真希人・結縄久俊・向後信成・藤原大輔・宮沢大地・鈴木燦・谷本理・扇田森也
演出助手:藤原大輔 舞台監督:松下清永 美術:袴田長武(ハカマ団) 照明:吉倉栄一 音響:井上直裕(atSound) 宣伝写真:降幡岳 宣伝美術:米山菜津子 制作:関根雅治 山崎智子 企画・製作:ヒンドゥー五千回 主催:財団法人せたがや文化財団、フリーステージ実行委員会
全席指定 2500円
ヒンドゥー五千回:http://www.h5000.com/