庭劇団ペニノはこだわりのある舞台装置で、独自の世界観を作り上げる劇団です。私は西新宿はらっぱでのテント公演を拝見しました。
密度の高い空間でした。緻密で示唆に富んだ演出に、役者さんが素晴らしい演技で応えていました。クライマックスでは涙が溢れ、カーテンコールの後はしばらく動けず、舞台をじっと見つめていました。
好みが分かれる作品ですのでメルマガ号外を出すのは控えますが、終盤になるに従って満員日が増えるのは必至。ぜひお早めのご予約&ご観劇をお勧めします。1/22(木)までです。1/17(火)は休演日。
★1/16(月)、1/20(金)の14:00の回は“昼ギャザ”あり。予約人数が増えるとキャッシュバック額が上がります!
★BACK STAGEに充実のインタビューと稽古場レポートあり。
★ご覧になった方のレビュー⇒小劇場系、デジログからあなろぐ、藤田一樹の観劇レポート、fringe blog、踊る芝居好きのダメ人間日記、チェルフィッチュブログ2、LIVESTOCK DAYS、休むに似たり。、*S子の部屋、正しくも松枝日記、たろ温泉、観劇日和、オム来襲 (随時追加します)
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レビューをアップしました(2006/01/17)。
≪あらすじ≫ 公式サイトより引用。
洋食屋『キッチン長嶋』。マスター(マメ山田)と女店員(瀬口タエコ)。マスターは料理を作れば超 一流だが、接客に関しては三流以下でまったくやる気がない。そんな店に食事をしに訪れたサラリーマ ン(久保井研)。その男に対しマスターは、「自分の代わりに店に寝泊りし、月給50万円で料理を作らないか」と持ちかけるそして、男の意思など関係なく、強制的に実行に移してしまう。マスターは、「モニターで様子を窺いイヤホンに指示を出すから、料理を作ればいい」と告げたまま2階に籠もってしまう。男は、マスターの指示により料理を作り続ける。何ヶ月もの間マスターは、食事もとらず二階に籠り続ける。それでもイヤホンからはただマスターの声だけが届く。一心不乱に働き続ける男は、いつの間にかマスターと融合してしまう・・。やがて男は疲労し苦悩を感じながらどんどん精神が崩壊していく。果たしてダークマスターとは誰か?アイツか?コイツか?それとも?
≪ここまで≫
携帯ラジオが座席に置かれています(前から3列目の席までは1人1個、それより後ろは2人に1個)。開演前に使い方をきちんと説明してくれますので、どうぞご安心を。ただ、ラジオの数に限りがあるそうですので、劇場へはお早めに。
ベタベタの演歌のイントロとともに舞台が明るくなると、そこは小汚い定食屋“キッチン長嶋”。冬なのに白いランニングシャツ姿の太った男(白鳥義明)が、クチャクチャと下品な音を鳴らしながら美味しそうにオムライスを食べています。胸には般若の刺青がはっきりと見えており、脇に手下(山崎秀樹)を従えていますので、どうやらヤクザのようです。客席に背を向けてカウンターに座っている女(瀬口タエコ)はその店の主らしく、ヤクザ2人におびえているのか、弱弱しく曲がった背中に悲壮感と絶望が漂っています。
このオープニングのシーンの完成度の高さに、まずシビレました。そしてこのレベルが最後の最後まで徹底的に維持されます。小劇場の醍醐味、贅沢さを味わえます。その意味でも必見です。
作品が伝えんとするメッセージなどは特に決まっていない(公開していない)そうです。難解といえば難解かもしれませんが、難解であることが、観る側の自由を保障していると言える作品です。ご覧になった方が、ご自分の感じたままに何かを持って帰れば良いのだと思います。そして、絶対に、何かを持って帰れます。
ここからネタバレします。fringe blogにも書かれているように、何を書いてもネタバレになるのです。これからご覧になる方、および観に行こうかなと迷っている方は、どうかお読みにならないでくださいね。
リストラされて放浪していたサラリーマン(久保井研)は、小さな体のマスター(マメ山田)に無理やりコックの仕事を押し付けられます。マスターは店の2階に上がってしまい、サラリーマンはラジオのイヤホンでマスターの指示を聞きながら、料理をすることになります。徐々にコックの仕事に慣れてくると、不思議な出来事が起こり始めます(サラリーマンが正露丸を飲むと、マスターの腹痛が治る/見知らぬ生肉業者から得体の知れない“肉”が納品される/玄関から入ってきた客が便所から出ていく/兵士の装いの男がタバスコを多量摂取/喪服の女が読売ジャイアンツのユニフォームを着た息子を連れてくるが、その息子が無礼三昧/喪服の女が小さな骨壷から遺骨の粉を握り出して、キッチンに撒き散らす/等)。
毎月の売り上げが600万円になった頃には、ヤクザにショバ代を納めるようになっており、サラリーマンは何かを思い立って、ラジオのイヤホンをはずしてヤクザの手下に手渡し、仕事を辞めるような素振りを見せ始めます。青くて暗い照明の中で店をきれいに片付けて、妻と思われる喪服の女(横畠愛希子)を玄関から出て行かせて、自分もエプロンをはずして便所に去ります。
すると、今まで真っ黒なままだった2階に光が入り、なんと1階と全く同じキッチン長嶋のセットが現れます。沙幕の向こうに見える2階の部屋は、1階よりも少しきれいで豪華に見えます。それは2階下手の便所の壁に取り付けられている、大きな鹿の頭部の剥製が原因かもしれません。
同じ部屋が2つ、縦に並んでいる壮観に心を奪われていると、突然、2階の床が右斜めに落ちるのです。すごい勢いでガタン!と。そしてゴーっという音とともに、2階のカウンターに沿って並べられていた4~5脚の丸イスが、1階の上手側に滑り落ちます。それらのイスが1階玄関のドアのガラスにぶつかって、ガラスは無論、ガチャーン!と割れます。・・・あっという間の出来事でした。実際に床が落ちて、イスが転がって、ガラスが割れたのです。イリュージョンではなく。
呆然としたままの観客の前に、サラリーマンが現れます。1階の便所から出てきた彼は、登場した時と同じスーツ姿です。迷いのない、しっかりとした視線をまっすぐ前に向けて、彼は玄関のドアからキッチン長嶋を出て行きます。
サラリーマンが去った後、また便所から誰かが出てきました。白いランニングシャツに白いブリーフ姿のヤクザです。便所の前で玄関の方を眺め、何かに脅えているかのようにブルブルと震えながら、立ちすくんでいます。フランク・シナトラの「ニューヨーク,ニューヨーク」が大音量で流れる中、暗転。そしてカーテンコール。
2つの部屋が現れ、2階が倒壊し、サラリーマンが去る。そして裸になったヤクザが立ちすくむ・・・その間、セリフは全くありません。観客がそれぞれに自由な解釈をせざるを得ない、衝撃的な結末だと思います。美術の構造、小道具、衣裳、セリフなど、細かい部分に周到な隠喩が山盛りです。
1階は日本、2階はアメリカおよび西洋資本主義であると私は捉えました。
アメリカ(マスターおよびキッチン長嶋)は、焼け野原の日本および日本人(=リストラされたサラリーマン)に強引に救いの手を差し伸べます。実は手なづけて奴隷のように働かせ、そして搾取しようとしていただけなのですが。
まじめな日本人は労働を喜びに変えていきます。言われたとおりに働いて、すっかりアメリカに追いついてから周りを見回してみると、家族(=喪服の女)は傷ついており、子供(ジャイアンツのユニフォームの子供)は目的を見失って呆けています。ビジネスがうまくいき始めたら、ヤクザにたかられて金を奪われるようになりました。
日本人はアメリカの横暴と自らのアイデンティティの喪失に気づいて、再びゼロからやり直すことを決心し、店から出て行きます。2階の床が落ちることはアメリカの崩壊を意味し、その崩壊が日本(=1階)にも壊滅的な打撃を与えるのです。
最後に登場するヤクザは資本主義社会の膿(うみ)のような存在で、金づる(=サラリーマン)を失って茫然自失している様かな・・・と想像しました。・・・でもこれはかなりこじつけですね。よくわかりませんでした。
料理は実際に舞台上で行われます。肉の焼ける匂いの芳しいこと!観ていながらお腹が空いてきます(笑)。ステーキ、オムライス、野菜炒めなども次々に調理され、その匂いが劇場全体に充満してくると、物理的に息苦しくなってきて、良い匂いだと思っていたのもだんだんと苦痛になってきます。そこにさらにタバコの煙がまざり、もう我慢できないよぉ・・・と思った頃、上手の玄関のドアが開けられて、自動的に換気が始まりました。その臭気も換気も演出だったのだと思います。牛肉を食べるのは日本の食文化にはなかったことですし、私達が生きているこの資本主義社会は、何かを作る度に腐臭を放つゴミや、有害ガスを生み出しているのです。
ヤクザに売上金を取られ、サラリーマンは何かをあきらめたようにイヤホンとラジオをはずします。それをヤクザの手下に渡した後から、空気が一変します。静かな、青くて暗い空間。サラリーマンはこなれた動作でキッチンを片付けます(その間、換気が続いています)。その傍らには喪服の女が、泣きながらオムライスを食べています。
がむしゃらに無我夢中で働いてきて、物理的に豊かになったけれども、妻は泣いていて子供は育っていない(死んでいる)。マスターの存在がそれほど大事ではなくなっても、さらに搾取するやから(=ヤクザ)が出てきた。お金が必要で、そのために働き始めたが、いつまで経ってもそれが満足に至る量にならないし、あったからといって自分と家族が幸せになるわけではない。だったら、なぜここに私は居るのだろう?・・・そういう自問自答が沈黙の中に起こっていたのではないでしょうか。
私はサラリーマンが玄関から出て行ったことに一番感動しました。彼は自分で自分の人生を生きることを選び、自分の意志でキッチン長嶋を出ました。きちんとスーツを着て颯爽と玄関から飛び出すその姿は、希望に目覚め、未来を見つめているように映りました。
店に来た客は欲するがままに牛の肉をむさぼり、無自覚のまま便所に消費されていきました。客が便所に入った後には必ず、おばあさん(瀬口タエコ)が通水カップ(ラバーカップ)持って入ります。このことから想像されるのは、客が便器の中に流されて下水道に捨てられて行ったということです。
対してサラリーマンは玄関から出て行きました。そして彼の妻も同じく玄関から去りました。そこには家族を省みない男と自立する女との決別があり、同時に、お互いの険しくとも新しい人生があると感じられました。
今の日本には決して幸せがあふれているわけではありません。でも男だけが悪いのではないんですよね。それを見て見ぬ振りしていた女も悪いのです。だから2人は一緒にはならないのだと思います。
以上は私が受け取った解釈です(他にももっとあるんですが)。終演後に制作さんにお話を伺ったところ、お客様一人ひとりが色んな捉え方をされているそうで、それについてはまた機会があれば書きたいと思います。
音楽が効果的でした。オープニングの演歌、ジョーン・バエズ(「ドナ・ドナ(Donna, Donna)」ともう一曲)、フランク・シナトラ(ラストに「ニューヨーク,ニューヨーク」)は音楽としても心地よかったですし、その歌のバックグラウンドや歌詞の示す意味も、お芝居の内容に付加されていました。※「ドナ・ドナ」について詳しいサイト→1、2、3、4、5
メインの役者さんはどなたも何の文句もつけようのない存在感でした。
マメ山田さん。小さなマスター役。蜷川幸雄さんのお芝居でしか拝見したことがなかったので、どういう方なのか全然わかっていなかったのですが(体の小ささだけを誇張するような使われ方なので)、すばらしく演技力の有る方ですね。イヤホンから聞こえてくる声も適度の抑揚と大人のユーモアがありました。ずっと観ていたいと思わせるキュートなルックスでもありました。
出演=久保井研(唐組)/瀬口タエコ/マメ山田/白鳥義明/横畠愛希子(マンションマンション)/田中寿直/山崎秀樹/渡辺卓也
原作=狩撫麻礼・泉晴紀(2001年コミックビーム連載) 脚本・演出=タニノクロウ 舞台監督=矢島健 舞台美術=田中敏恵 チラシイラスト=泉晴紀 企画制作=庭劇団ペニノ 主催=(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
全席自由3,000円(整理番号付き) *平日マチネのみチケットバックあり(昼ギャザ) 計16ステージ
庭劇団ペニノ=http://www.niwagekidan.org/
BACK STAGE=http://www.land-navi.com/backstage/report/penino/index.htm
演出家のコメント映像=http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=003866&ks=06
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