キャスト・スタッフともにいつも豪華な、ひょうご舞台芸術の第1回公演の再演です。
平幹二朗さんと板東三津五郎さんの真っ向対決に涙、涙・・・でございました。
上演時間は休憩を含む3時間。ちょっと長いんですけどね、後半がすばらしいのでぜひ劇場へ足をお運びください。
※NHK衛星放送BS2(←おそらく)で2月に放送されるそうです。昨日はカメラが入っていました。
≪あらすじ≫ RUPサイトより、長いけれどそのまま引用。(役者名)を追加。
天正16年(1588年)秀吉(坂東三津五郎)は利休(平幹二朗)と共に聚楽第への天皇行幸という大事を無事にすませ、一時お互いの労をねぎらいあう。本能寺の変の後、ほぼ日本全土を平定し終えた晩年の豊臣秀吉。権勢の象徴、聚楽第に天皇を迎え、実質的な天下統一を揺るぎないものとした夜のことであった。
しかし、ここ数年来、一事が万事、事を急ぎながら事にためらう秀吉の中に、利休は昔の秀吉にはあるまじき変化を敏感に探り当てていた。そんな秀吉の変化に、利休との友情の崩壊を案ずる秀吉の弟・秀長(高橋長英)は、利休にしばらく秀吉とは会わぬ方がよいとすすめる。
そんなおり、利休は別宅にかぶき女・於絹(大鳥れい)を住まわせ、主人秀吉にも隠れた時間を過ごしていた。その家には、於絹の関係で、禁制のキリスト教を奉じる新三郎(檀臣幸)、新進の焼物師・弥八郎(渕野俊太)といった若者が出入りする。あえて秀吉に楯つかんとするかのごとき利休の暮らしぶりに不安を覚える於絹。しかし、利休は「息抜き」のためと答えるばかりで、かえって危険を楽しむ風でさえあった。
聚楽第の夜以来、秀吉の天下人としての次なる目標と老いてゆく我が身に対する焦燥はますますつのり、その噂は久しく会いまみえることのなかった利休の耳にも届いてくる。知らず知らず、求め合う二つの魂。しかしその時、天下に野心を持つ石田三成(石田圭祐)と茶人として立身出世を謀らんとする津田宗及(三木敏彦)の策謀もあって、利休の秘密生活の実態が秀吉の耳にはいる。
「宗易は何を考えている?」キリシタンとつながりがあるということを、あえて度外視した秀吉は、利休と自分との関係をあらためて心に問いただすのであった。
やがて日毎に高まる利休の名声と、崩壊を予感させて豊臣家を襲う数々の難事。時代が大きく動き始めようとしたとき、再び二人の獅子が対峙する…。
≪ここまで≫
舞台の全体イメージは漆黒の闇。その中を艶やかな和装の役者が上品に、力強く存在します。
役者の姿が写るほど表面がつるつるに光っているひし形のステージが中央にあり、碁盤の目状に線が入っています。黒光りする御影石が組み合わさっているようにも見えて、荘厳です。人が腰掛けられるぐらい大きな石がひとつ、その御影石のステージから生えるように設置されており、竜安寺の石庭みたいだなと思いました。
舞台奥には上下にまっすぐ横切る廊下があり、役者が出はけに使います。全体としては変更・装飾が加えられた能舞台とも言えるかもしれません。
舞台の両袖の手前にパーカッションの生演奏ブースがあり、それぞれに1人(合計2人)の演奏者がいます。彼らの後ろに巨大なオブジェのような板がそびえているのですが、それは金箔がふんだんに塗られた黒い漆塗りののべ棒のようです。
私の胸にもっとも鮮やかなのは、舞台奥一面に広がる欄間のようなスクリーンでした。とても面白い素材で、照明によって質感が全く変わります。重厚な金にも見えれば、透けてセルロイドのようにもなり、金粉がちりばめられた木工細工にも見えます。そういえば時おりステージ下手に登場する階段は、うすく白みがかった黒色で、書道の墨のようでした。素材の質感に日本の文化が表現されているんですね。なんて粋でかっこいい、大人の舞台なんだろうと、しみじみ味わいました。
衣裳ももちろん美しかったです。秀吉は金色、赤色などの織りが派手な着物、羽織を着ています。能を舞うシーンもあるし、茶をたてるシーンもあるし、和装の立ち居振る舞いも華やかで嬉しいです。一番好きだったのは秀吉の弟・秀長(高橋長英)が羽織っていた黒いマントです。左肩に大きな金の模様が描かれていて超おしゃれでした。
「茶会の後、もう二度と会わなくても悔いがないぐらいに、その客におもてなしをする」というのが茶の世界だそうです。これには大感動しました。来客を茶でもてなす日本文化は、なんと高貴で暖かいのだろうと思いました。
「室町時代以来、日本が文化的な権威を尊重する時代だった(以下略)」(芸術監督・脚本の山崎正和さんのパンフレットの文章より)ということを、私は知りませんでした。小・中・高と日本史を学んできましたが、文化というものが日本の国の中でどういう位置にあるのかを誰も教えてくれなかったし、はずかしながら私自身もそれほど興味がありませんでした。
でも、私という人間はいったい何かと考えた時に、堂々と迷いなく答えられるのは「日本で、日本人の父と母から生まれた女である」ということだけです。では日本とは、日本人とは何なのか?数千年におよぶ歴史と文化、そして今の世界のどこで何をしているかを答えることになると思います。つまり、私は自国の文化によって成立しているのです。文化なしに私という人間は存在していないということなんですよね。この作品のおかげでそこに気づき、目の前が明るくなった気持ちです。
ライブドア事件などで金が金を生むという神話が壊れた今、本当の価値は金にあるわけではないということを、私たちは信じられると思います。そして、文化⇒娯楽⇒金という歪んだベクトルに疑問を持ち、それを正すことが出来ると思います。
ここからネタバレします。
一番の見どころは終盤の茶室での、秀吉(坂東三津五郎)と利休(平幹二朗)の対話です。身分の差を越えて人間として対等に、真剣に交わっていた2人の間に、徐々にあこがれや対抗心、依存心、甘えなどの感情が渦巻いてきていたことが明るみに出ててきます。そして二人のエゴが対決するのです。
2人のぶつかり合いの中に、激しい心臓の鼓動と焼けるように熱い感情とが見えたような気がして、涙がぼろぼろと流れました。
対話の後すぐに、利休は茶人としての使命を忘れていたと気づいて、秀吉の命令どおり自害します。茶室で秀吉に対して「おもてなし」をしなかったのですから、利休の言う通りです。でも、一途に互いをもとめあう気持ちが正面衝突したあの瞬間も、「おもてなし」と同じぐらい温かくて尊いものだったように、私は感じました。
演出の栗山民也さんがパンフレットに書かれている“コンフリクト(=意見・感情・利害の衝突。争い。論争。対立)”について考えました。現代はそれがなくなっている状態で、“コンフリクト・フリー(何の心理的葛藤もなく、ただ支配をそのまま受け入れてしまう)”という言葉で表されるそうです。たしかに10年前ごろは、私にも論争や対立をした時期があったけど、今はあまりないですね。
最近、ネット上で激しく議論をしている人たちのやりとりを見る機会がありました。誰かが相手に対して「クオリティが低い」という理由ですごく怒ってるんです。文章だけの戦いであんなにも熱くなっている人たちがいることに懐かしさを感じながら、私はそのまま眺めさせてもらっていたのですが、このお芝居を観てその気持ちが少しわかった気がします。「本気でコンフリクトしてこない奴なんて、友達じゃない!」ってことを訴えていたんですね。
緊張がぴーんと張り詰めた真剣勝負のコミュニケーションは、スリリングで刺激的で、官能的でさえもあります。そういうことって例えば恋愛が始まる前にもよく生まれると思います(恋愛が始まった途端に消えてなくなることが多いですが)。
利休が死んでも、秀吉そして茶の世界の中に利休は生き続けています。命がけの対話(コミュニケーション、コンフリクト)に、永遠の命が宿るということなのではないでしょうか。
利休「私は獅子を二畳半の部屋に閉じ込めたいと思った。しかし飼いならした途端、獅子は獅子でなくなってしまう。」
人間は何かを欲するとき、自動的にジレンマに陥るのだなと思いました。
《兵庫、東京》
出演=平幹二朗/平淑恵/高橋長英/立川三貴/三木敏彦/石田圭祐/渕野俊太/壇臣幸/篠原正志/板東八大/板東大和/松川真也/大窪晶/大鳥れい/板東三津五郎 演奏=高良久美子/山田貴之
作=山崎正和 演出=栗山民也 美術=堀尾幸男 照明=勝柴次朗 衣裳=緒方規矩子 音楽=仙波清彦 音響=秦大介 演出助手=北則昭 舞台監督=澁谷壽久 芸術顧問=山崎正和 制作=アール・ユー・ピー
チケット発売開始 10月22日(土)10:00全席指定(税込) A席5,500円 B席4,500円 6ステージ
公式=http://www.gcenter-hyogo.jp/
RUP内・作品公式=http://www.rup.co.jp/20051201_hyogo_shishi/index.html
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