55歳以上の俳優のみで構成されるさいたまゴールド・シアターは、彩の国さいたま芸術劇場芸術監督である蜷川幸雄さんの提案で2006年に発足した劇団です。私は初見。
1985年に書かれた清水邦夫さんの戯曲『95kgと97kgのあいだ』を蜷川さんが演出されます。さいたまゴールド・シアターでの初演は2008年。劇団初の東京公演が実現されて嬉しいです。
老人と若者の肉体を対比させて見せる演出に感動しました。もー涙流れすぎて泣き疲れた(苦笑)。上演時間は約1時間15分。前売りは完売のようですね。
★ネット販売は完売ですが、電話予約ができる日があるそうです(2009/03/23加筆)。
電話予約:03-5468-8113(ぷれいす)
25日(水)、26日(木)、27日(金)のみ。他日程は当日券を若干枚数販売予定。
⇒CoRich舞台芸術!『95kgと97kgのあいだ』
レビューをアップしました(2009/03/23)。
開幕した時の雰囲気から、1本の筋がとおったわかりやすい物語ではなさそうだったので、セリフや行動の辻褄などは考えないように、ただ舞台を浴びるように鑑賞することに決めました。それが私には功を奏したようです。
出演者はなんと約80名!いかにも役者然とした若い俳優は、ばねを感じさせるみずみずしい体に経験の浅さ(若さ)が見え隠れし、セリフにおぼつかなさが残る年配の俳優は、実体のあるぶ厚い歴史が体全体からにじみ出ています。その対比があざやか。
まるで稽古場のような舞台(しかも会場は体育館)で、少々大仰なセリフ劇と、ワークショップ(稽古)のような場面が入れ替わり繰り出されました。若者を見る老人、老人を見る若者という劇中劇のような構図もしばしばあって、黒リノリウムが床に貼ってあるだけのシンプルな空間が、ダイナミックに変化していきます。
お芝居はそもそもが作り事(嘘)ですが、そこに俳優がいて、目に見えて汗だくになっていく彼らの体には嘘はありません。虚構と現実が猛スピードで入れ替わる演出によって、ずっと気持ちが振り回されっぱなしでした。心と体ごと、大きな振り子になったような状態。
蜷川さんは戯曲をできるだけ変えずに演出されるそうです。70年代の安保闘争が題材になっている20年前の戯曲が、これほどの普遍性をもった作品になっていることが凄いと思います。
ここからネタバレします。誤読だらけかもしれません。セリフは正確ではありません。
「並べば切符が買える」という噂を聞いて行列に並ぶ人々。列からはみ出すと機動隊に殴られて、どこかへ連れて行かれてしまう。自分の順番が来てもどうなるのかは実はわからない(切符はもらえるのか?先頭の人が入っていく上手黒幕の奥では叫び声が聞こえる)。それでも並び続ける人たちに向かって、青年(横田栄司)が乱暴に語りかける。
国家の言いなりになって暮らす人たちと、それに反発する(行列を乱す)人たち。反発は警察権力によって押さえつけられ、何もなかったように再び日常がやってきます(行列がもとどおりに続きます)。青年の「行列の中で死んだ人間(国家に反発した人間)がいた」というセリフを合図に、客席後方から年配の俳優たちが、つらそうにうめきながら登場しました。本当に死者が現れたように感じてぞっとしました。
その中には、学生運動に関わって命を落とした人もいたでしょうが、交通事故で昨日死んだおばあさんや、原始時代に死んだ遠い祖先もいたように感じました。さいたまGTの俳優が演じるので、今を生きる生活者と死者が重ね合わさったように感じ、体が震えました。どきどきして、涙が流れました。
架空の砂袋をかつぐ演技練習(?)で、リーダーが砂袋の重さを変えていきます。50kgからいきなり100kgにすると、ばったり倒れてしまう老人もいたため、増やす重量を小刻みにすることにします。例えば95kgから97kgへと2kgだけ増やしてみるとか。そのわずかな差を慎重に、繊細に、演技で表わそうとします。その差を伝えることに命をかけるのだと、青年は言います。
○か×か、白か黒か、敵か味方かという両極端の選択肢しか許さないで、どちらか決めた方へと猪突猛進するのは、実は楽をしているんですよね。無数の選択肢の存在を認めて、その微妙な違いを命がけて伝えようとすること。それが人間が行うべきコミュニケーション(対話)なんだと思います。
終盤で戦後のつらい体験を老人たちが語り始めた時は、演技がそれまでになく仰々しかったので少しがっかりしました。でも青年(横田栄司)が客席に走り上って、老人らに向かって「消えろ!思い出バカ!」(セリフは正確ではないかも。「うせろ」だったかしら。)と叫んだので、痛快で大笑いしてしまいました。
賛美と嘲笑が入れ替わり、塗り替えられていくことや、死んだと思ったらまた生き返る演出は、人類の歴史そのものだと思います。最後は若者も老人も同じ1列の行列に並びました。地震なのか爆発音なのか銃の乱射音なのか、何かを破壊する音が大音量で降り注ぐ中、客席の方から吹きすさぶ嵐が、行列の人たちを舞台の外へと追いやっいきます。そこに赤ん坊の泣き声が聞こえていました。未来への希望が示されているように思いました。
「フェスティバル/トーキョー09春」参加作品
【出演】あの一群たち(さいたまゴールド・シアター):石川佳代、宇畑稔、大串三和子、小川喬也、小渕光世、葛西弘、加藤素子、神尾冨美子。上村正子、北さわ雅章、小林允子、小林博、佐藤禮子、重本恵津子、関根敏博、田内一子、高田誠治郎、高橋清、滝澤多江、宅端渓、竹居正武、谷川美枝、田村律子、ちの弘子、都村敏子、寺村耀子、遠山陽-、徳納敬子、中島栄一、中野富吉、中村絹江、西尾嘉十、林田惠子、百元夏繪、益田ひろ子、美坂公子、宮田道代、森下竜一、吉久智惠子、渡邉杏奴
行列たち(NINAGAWA STUDIO):秋山拓也、飯田邦博、市川なつみ、今村沙緒里、江間みずき、太田馨子、荻野美香、小田めぐみ、加藤亮佑、金子文、狩野淳、川﨑誠司、黒田龍矢、小石祐城、斎藤美穂、澤魁士、嶋田菜美、新川將人、鈴木重輝、清家栄一、高橋映衣子、高橋永江、田中結佳、中村千里、難波真奈美、西村篤、野辺富三、畑中研人、福田潔、古屋恭平、増田広太郎、松本昇大、茂手木桜子、本山里夢、谷中栄介、横田透、渡辺るみ
サックス:松延耕資 ヴァイオリン:桜野貴史 女O:奥村佳恵 青年:横田栄司
脚本:清水邦夫 演出:蜷川幸雄 演出補:井上尊晶 美術:安津満美子 照明:岩品武顕 衣裳:小峰リリー 音響:市川悟 演出助手:藤田俊太郎 舞台監督:山田潤一 スローモーション・マイム指導:清家栄一 荒川將人 制作:三崎カ、田中謙介、松野創
【F/Tスタッフ】にしすがも創造舎劇場スタッフ:弘光哲也 フロントチーフ:吉田直美 フロントスタッフ:三好佐智子 制作:樺澤良 製作:財団法人埼玉県芸術文化振興財団 主催:フェスティバル/トーキョー
【発売日】2008/12/18 一般 4,000円/3,000円(桟敷)/学生 3,000円(要学生証提示)、高校生以下 1,000円 自由席 F/T回数券(3演目/5演目)、F/Tパス、ペアチケットあり
http://festival-tokyo.jp/program/btween95-97kg/index.html
※クレジットはわかる範囲で載せています。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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