桜美林大学で別役実さんの講演会がありました。別役さんの戯曲を上演する公演の特別企画なんですね。
第1部は別役実さんがお1人で語る1時間の講演、第2部は対談で、聞き手は文学座の高瀬久男さんでした。
別役さんがご自身のエッセイを朗読されるだけで鳥肌モノ。桜美林大学の学生は早くから実践的な経験を積んでいて凄いですね。
以下、別役さんの言葉でメモできたことの箇条書きです。
⇒CoRich舞台芸術!『別役実講演会「別役実 ―その創作の源―」 』
■嘘について
劇作の他にエッセイを書くことで稼いでいた。例えば『道具づくし』『病気づくし』『虫づくし』などのデタラメなもの。嘘のエッセイを書くことで自分の精神状態がわかる。精神が安定していないと嘘は付けない。
うまく嘘をつくためには、居直った、人を食うような、積極的な精神でなければならない。ポーカーフェイスが必要。
嘘がばれるのには2つの原因があって、1つは悪ふざけが過ぎた時。はしゃぎすぎて嘘をだめにしてしまう。もう1つは真面目に正当化しすぎた場合。そういった場合に創造の精神が沈んでしまう。つまりバランスが重要。
悪ふざけが笑いで浄化されることもある(が、それは創造ではない)。粉飾することはクリエイティブから離れる。嘘の実在感が必要。
例えば『道具づくし』の中の1編「下眉」は成功例。嘘をつき始めた精神が、軽やかに、リズミカルに自己回転をし始める。その結果「下眉」の中に名句がいくつも生まれた。
ヨーロッパのつくり話は歯切れがいい。虚構に実在性があるからだ。ヨーロッパ人は「神のみが創造主である(クリエイションができるのは神だけである)」という考えが強いため、創造すること自体が神への反逆であるという緊張感がある。だから実在感がある。
対して日本のものには実在感が足りない(八百万の神だから?)。ただ、宮沢賢治の童話はフィクションとしての歯切れがいい。虚空に何かが存在する存在感が、日本人の中では優れていると思う。
たとえば日本には「嘘のために言葉を使ってはいけない」といったな言霊(ことだま)信仰がある。(私の書いた)嘘のエッセイを批判して、それをやめさせようとする勢力があった(例:「かわやだんご」「徒然草」)。だから特に日本では(嘘をつくことが)難しい。
「嘘はよくない」とされていても、よくないことにあえて踏みこむこと、自分の魂を試すことが大事。魂が冒険するチャンスは非常に少ない。(嘘をつくことは)魂への挑戦としてのひとつの試みだろう。
嘘は孤独。誰にも頼れない(見事な嘘をつくためには、孤独でなければならない)。自分を独立させること。自分の精神のよりどころをなくすことが重要。
嘘つきの天才が成るのは詐欺師か芸術家のどちらか。詐欺師にならない程度に、魂をおののかせる手段としても嘘が重要。
嘘から嘘を生み出す精神にこそ、軽やかなフィクションを生むための源泉がある。
■笑いについて
笑いには社会風刺や批評性が必要だと言われる。だが私は何の役にも立たない笑い(ナンセンスな笑い等)が、むしろ重要だと思う。魂が自由になって、一つの存在感を確かめるために、笑いは重要。自分自身の魂のおののきを確かめるために、笑いは重要な効用になる。
■学生時代
早稲田大学で先輩にひっぱられて劇団に入った。新入生は100人ぐらい。いつも200人規模で公演をしていた。その頃は「ドラマは階級闘争の中にしかない」といった主張を持つ、陰々滅滅な社会的リアリズムの左翼劇ばかり。
リアリズム演劇の弊害の中で最も大きいもののひとつは、「リアリズム」という名称にも表れているように、虚構性の排除。
福田善之作『真田風雲録』(今年10月にさいたまネクスト・シアターで上演。⇒製作発表)の開放性が凄かった。その作品自体を認めたわけではなかったけれど、60年代の演劇の中で画期的だった。ほとんどミュージカルのような作品で、歌と踊りでショウアップする。「芝居は何をやってもいいんだよ」という試み。演劇を大衆化していた。
■ベケットの空間とアメリカ演劇
空間感覚はベケットの影響を受けた。宇宙を示す垂直の線(電信柱)と、それに対抗する水平軸(舞台床)によって、無限の空間を暗示する。そこに登場人物がわだかまっているという感覚。
ただし役者はそれを意識しない方がいい。宇宙を体感してない方がいい。細部に集中することによって、背後の宇宙が広がるから。
アメリカ演劇が刺激的だった。ヨーロッパの不条理劇よりも華やかでよりシアトリカル。例えば『ガラスの動物園』(←今も好きな戯曲)『欲望という名の電車』『セールスマンの死』など。アメリカ演劇の肌合いに、その頃の演劇人の半分は無意識に影響を受けていたように思う。
■近代劇と現代劇
「近代劇の独立した最小単位は個人である」とされるが、現代劇の最小単位は関係。近代劇と現代劇の違いは、個人ではなく関係が主人公になったこと。
■観客について
観客との対峙の仕方が難しくなってきている。ギリシャでは演劇は神に捧げられるもので、それを客が背後から観るというものだった。今はそれはない。観客のためにとか、観客へのメッセージとしての舞台などはありえない。「観客のためにやる」ことから離脱することが必要。
■質問「今活躍する劇作家で注目しているのは?」
岸田國士戯曲賞の審査員の時は若い人の戯曲も読んでいたが、今はあまり読んでいない。舞台もあまり観ないようにしているので(影響を受けて自分にしみ込んでしまうので)、今の人は知らないのだけれど、知ってる限りでは岩松了君。
■高瀬「135作目となる戯曲『らくだ』がもうすぐ上演されます。」
書いた戯曲の本数で日本一になるのは無理だとわかったので、もう考えていない(菊田一夫さんが200本以上書いている)。今は子供とお母さんが一緒に観て楽しめる劇に興味がある。
9/13(日)14:00~ 第1部 別役実さん講演/第2部 別役実さんと高瀬久男さんの対談
出演:別役実, 高瀬久男
舞台監督:島田佳代子 舞台美術:熊川ふみ 照明:水田歩美 音響:杉山碧 宣伝美術:前山兼徳 票券管理:花房理奈 制作:清水美峰子
【発売日】2009/08/24【予約】一律 1,500円【当日】一律 2,000円
≪セット割引あり≫講演会と演劇公演『天才バカボンのパパなのだ』『マザー・マザー・マザー』の両方をご予約のお客様は、講演会のチケットが1000円引きに!!
※講演会の前日・9/12(土)24時までに、講演会と演劇公演の両方をご予約いただいた方が対象となります。
※セット割引適応者につきましては、演劇公演のチケット代も、講演会の受付で同時精算となります。ただし、演劇公演のチケットは受付取り置きとさせていただきます。
http://www.obirin.ac.jp/ri/pai/opap/betsuyaku.html
※クレジットはわかる範囲で載せています。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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