栗山民也さんのロングインタビューの続きです。遅れに遅れてしまい誠に申し訳ございません。
できるだけ多くのご発言をお伝えしたいという気持ちばかりが熱く、自分の編集能力の未熟さゆえに挫折を繰り返しておりました。今の自分が納得できるところまでまとめられましたので掲載いたします。④はしばらくお待ちください(2010/12/08)。
②ではドイツのミュージカル創作現場における、劇場環境やスタッフとのかかわり方などを重点的にお話しいただいています。③はドイツの俳優についてです。
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■オーディションには選り抜きの俳優が集まった
―出演者はオーディションで選ばれたのですか?
栗山「はい。オーディションには僕も居ました。総芸術監督のフライさん、脚本・作詞のクンツェさん、作曲のリーバイさんももちろん。2日間で150人ぐらいの俳優を見ましたね。」
―集まった俳優は何らかの専門教育を受けた方々なのでしょうか?
栗山「いわゆるドイツ語圏の俳優で、公立のミュージカル・アカデミー出身者もいるようです。今までにクンツェ&リーバイ作品に関わった人や、最近頭角を現してきた人など、色んな国と地域から選り抜きの俳優を呼んだみたい。
例えばマリー役のロレッタという女優は『ウィキッド』の主役だったんです。12月は週の半分ぐらい『ウィキッド』の本番に出て、あとの半分はブレーメンで『マリー・アントワネット』の稽古をしていました。ルイを演じたティムは『レベッカ』の主役をやっていて週末しか稽古に来られないので、彼が出る場面は土日にやりました。」
―それって・・・めちゃくちゃ凄い俳優なんじゃないんですか!?
栗山「うん、たぶん(笑)。本当に色んな俳優が集まったんだよね。稽古が始まると、皆が作品に向かっていく力が凄かった。」
■極度の疲労が喜びに変わっていく
―スタッフも出演者も全員ヨーロッパの方々ですから(※演出補2名は日本人)、栗山さんは日本人演出家として、いわば単身で乗り込んだわけですよね。そういった環境でのご苦労はなかったですか?
栗山「大変とか、つらいとか感じるのは、日本の稽古場でも同じです。何もないところから少しずつ、作品という世界の積み木を積み上げていくわけですから。俳優やスタッフに対して『なぜ、出来ないんだ!』と不満に思うのは、日本だってドイツだって同じことで。
でも、ドイツで色んな重圧があったのも事実です。まず、すべて通訳を介さなければならないので、言葉の問題がありました。どうしても伝わらない時は、僕が日本語で直接しゃべったり、実際に演技(動作)をしてみせたりして。次第に『あぁ、伝わるんだ』と実感できるようになりました。
そして日本と違うのは彼らのエネルギーですね。食べ物で言うと、そうめんが大好きな僕が、肉を何百グラムも食べる人たちと対峙するわけですから(笑)、稽古場の空気圧が違う。正面から押し寄せてくるエネルギーに立ち向かわないとだめだから、ものすごい疲労感が積み重なっていくのがわかりました。でも稽古場で彼らが輝く瞬間に出あう度に、その疲労がどんどんと飛んでいく(解消されていく)のが目に見えるんです。くたくたなんだけれど、楽しい。疲労が喜びに、快感に変わっていくのを感じました。」
■最初の立ち稽古に3週間かかった
―同じ『マリー・アントワネット』に出演した日本のミュージカル俳優と、ドイツの俳優とは、具体的にどのような違いがありましたか?
栗山「ひとことで言うのは難しいんですが・・・まずドイツ人というと一般的によく言われるのは、理論武装をしていて、ある意味で理屈が優先する民族ですよね。とにかく理屈を消化しない限り、肉体は動かさないよというタイプ。まさにそうでした。例えば皆で18世紀末のパリについて話し合ったら、3時間、討論ばかりになりました。質問が多いんですよ。
僕の場合、1つの作品の最初の立ち稽古(あら立ち)は、4日か5日で全部やっちゃうんです。それから細部にわたって時間をかけて作るわけですね。『マリー・アントワネット』は26場もあるから4~5日では無理かな、でも1週間あればできるかな・・・と見積もっていたのが、なんと3週間かかりました。振付が遅れたせいもあるんだけどね。
歴史的なことや役柄について、そしてその人物がどういう形で革命に向かっていくかなどを全部説明してから、『じゃあ動いてみよう』と立ち稽古を始める。そして演出として僕が『そこは、こう動いて』と言うと、何人かが必ずフっと手を挙げる。『なぜ?』って。『自分が持っているモチベーションと違う。だから説明して欲しい』と。」
―何かの指示をする度に必ず質問が出るんですか?
栗山「出はけのタイミングや場所(上手や下手)などの指定にはすぐに従いますけどね。彼らから聞いた言葉で一番多かったのは『なぜ』『どうして?』でした。稽古時間が長くなるのはつまり、俳優が消化するのに時間がかかるから。彼らが自分の中で『あぁ、自分(の役)はこうなって、こうなって、こうなるのか』と理解するためなんです。だから1つの質問について30分ぐらい話しましたよ。
話し終わるとまた動き始めて、『じゃあ、その階段をタタターっと早く駆け上がって』って言うと、またぱーーーっと手が上がるの。『なぜ?』って(笑)。4、5人が『ここはこうじゃないか?』と意見を言ったり、その場面に出てない役者も議論に参加したりしてね。みんなが考えるんですよ、稽古場で。ダメ出しの時の、彼らの食いつくような視線を忘れないです。」
■繰り返す度に豊かになり、まるで違う芝居が生まれる
栗山「3週間ぐらいかけてやっと最後の場面までのあら立ちが終わったところで、もう一度最初から通したら、これが驚くほどスムーズに通るんですよ。しかも3週間前にやった時よりも数段優れた場面になってるの。舞台が豊かになってるんです。またダメ出しをして、議論をして、もう一回やってみると、必ずや階段を上っている(=進歩している)んですよね。『もう次の場面に行こうよ』って言っても『ごめん、もう一回やらせてくれ!』って言うから(笑)、もう一回やると、また、まるで違う芝居が生まれるんです。
彼らは基本的に、自分をつかむためにシーンを繰り返しやりたくてしょうがない。休憩もしないからね。自分のために稽古をやるんですよね。だから何度も『やらせてくれ』って言う。こっちは『もういいよ、そのくらいで。また時間をおいてからやったらいいんじゃないの?』って言うんだけど(笑)『今、(役を)つかまえられそうだから!』っていう感覚なんだよね。」
―繰り返す度に必ずレベルアップしていくなんて、刺激的ですね。
栗山「もう3回目になると、舞台装置なんか全然目に入らなくなっちゃう。俳優が今、何を思って、誰に何を言おうとしているのか、そのベクトルしか見えてこない。人物から人物への思いがベクトルになって相手に運ばれ、また戻って来て。その繰り返しがあらゆる人物の全ての瞬間に起きていく。本番じゃなく稽古場で既にそんなことが起こるんですよ。
理屈で言うと、俳優自身の立ち居地、環境、関係性の3つが、いつの間にか俳優の肉体に見えてくるということ。役柄を理解し、自分の中に染み込ませていくことに時間はかかるんだけど、自分とその役柄が一体となった瞬間に、彼らは自由になる。自由に動きはじめるんだね。」
―その役柄として居ることに、自由になるという意味ですか?
栗山「そうです。役柄がその場に“立つ”、舞台に“立つ”っていうことに責任を持ってね。やっぱり自分を知っているということかな。俳優はどうあるべきか、舞台の上で何をしなければいけないかを、彼らは知っている。それが俳優の責任だし、現場で完全に順守されていることでしょう。」
■まぎれもなく、舞台で生きるということ
―ドイツ人俳優が持つ意識も技術力も、日本人のそれとは違うようですね。
栗山「表現のするどさや、せりふが持っている温度の燃焼の仕方。ひとつの言葉の中で、その燃焼が一気に冷却していくスピード。彼らは自分の肉体と言葉を気持ちいいぐらいに操りますよ。
舞台とは、『今、何が起きているのか』。これが一番大事でしょう。彼らが舞台で表現するってことは、まぎれもなく、“そこで生きる”ということ。この役はどんな役柄なのか、などとは問わないです。役柄とはつまり自分自身だから。前の段取りを忘れたとか、うっかりセリフが出て来ないなんてことは有り得ない。実際、セリフが飛ぶなんてことは皆無でしたね。
20人ぐらい出てる場面でも、どこを見ても人間が確かに舞台に立っている。あぁ、こういうことか、と思いました。だから、もう一回やったら前よりすごいものが生まれるんです。日本の舞台では俳優が大勢いても『あそこに隙間があるなー』と思うことがよくあるんだけれどね。」
―『みんなと一緒にやっていく内に、なんとなくできるようになるだろう』というような、おっとりした感じじゃないんですね。
栗山「全然違いますね。ダンスが踊れてない俳優がいたんだけど、1週間後にちゃんとマスターしてました。彼がどこで、どう努力したのかはわからないけど、必ずやるんです。プロだから。それも早いうちに解答を見せてくれる。『初日には間に合わせます・・・』みたいな、そんなアンラッキーな人は誰もいない。すごいですよ。」
■マルグリットの歌
栗山「マルグリット役を演じたのはサブリナという若い女優でした。マルグリットがスミレの花を持って初めて舞台に出てきて、『なぜあの人なの?私じゃなくて』って歌うでしょ。その場面を一番初めにやったんです。『あそこから出てきて、自由に歌って踊ってみて』って言ったら、サブリナは『オッケー!』なんて軽く返事して。僕は『ちゃんと歌えるのかなー』と(少し心配に)思ってたんだけどね。奥に乞食たちがずらりと並んでいる中、ピアノ演奏がしのび寄るように入ってきて、歌い始めたらそれが・・・もう、もう、凄いのよ、ほんっとに!そこに居るのはマルグリットその人。マルグリット本人が訴えている、生きた姿だった。“歌を歌ってます”とか“表現してます”といった態度なんてかけらもない。その場面が一番最初の稽古だったんだけど、僕は涙が止まらなかった。
1人の演出家と俳優という関係で彼らと同じ地平に立った時、“俳優がそこに居る”ということが、もの凄いベクトルでこっちに迫ってくるんだよね。強烈なカウンターパンチをくらったみたいな、すごい体験でした。」
栗山民也ロングインタビュー④につづく!
※舞台写真は公演公式サイトに掲載されていたものです。
※クレジットはわかる範囲で載せています。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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