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2011年04月14日

【写真レポート】SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2011」記者発表04/05東京日仏学院エスパス・イマージュ

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演劇祭チラシ

 静岡県舞台芸術センター(SPAC、⇒公式ツイッター)は芸術総監督の宮城聰さんのもと、2007年から毎年「Shizuoka春の芸術祭」を開催してきました(⇒昨年の記者発表)。今年から名称を「ふじのくに⇔せかい演劇祭」と一新。約1ヶ月間に世界9ケ国からの11演目が上演されます。⇒Web静新 ⇒SPAC公式ブログ

 作品紹介をはじめ、宮城さんとゲストの野田秀樹さん、タニノクロウさんが語られたことを、なるべくカットせずにまとめたレポートです。長大ですので、気になる情報をお時間のある時にチェックしていただけたらと思います。

 ●SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2011」公式サイト
  2010年6/4(土)~7/3(日)    
  ※前売りチケット:4月10日(日) 10:00より発売中!
   ステージ数が少ないですので、ご予約はどうぞお早めに!
  ⇒観劇ツアー無料バスfrom東京(無料・要予約)
  ⇒ダウンロードできる公式パンフレット(PDF)は記事も充実!
   静岡の人気スポットも多数紹介。1泊2日の静岡観劇旅行のおともにぜひ。

■国にとらわれない、固有の文化を持つ地域間交流の時代

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宮城聰さん

 宮城「『Shizuoka春の芸術祭』から名称を変更し、『ふじのくに⇔せかい演劇祭2011』を開催します。“国際(インターナショナル)”という概念はもう過去のもので、“インター”はともかく“ナショナル”、つまり“ネイション(国家)”は19世紀的概念かもしれない。これからは固有の文化を持つ地域間交流の時代です。つまり日本がイギリスと交流するのではなく、日本の中の一つの文化的アイデンティティーを持った地域(=静岡)が、世界中の色んな小さな地域と交流していくのだという気持ちをこめてネーミングしました。
 おおげさな言い方かもしれませんが、“せかい演劇(ワールド・シアター)”という言葉を広げたいと思ったんです。例えば“ワールド・ミュージック”という言葉は、文化的アイデンティティーを持つひとつひとつの音楽を、それぞれに同じ価値を持つものと認めて、上下をつけずに評価するという考え方に基づいています。演劇についてもそういう考え方ができたらいいと思うんです。日本の中の小さなエリアにある色んな固有の演劇表現が、等価値に、世界のさまざまな演劇と交流する。観客はそれら全てを、どっちがメジャーかマイナーかという考え方なしに楽しむ。そんな思いがこめられています。」

 宮城「この3月、まさに震災という驚くべき事態と直面しまして、公立の劇場としていったいどうすべきかと自問いたしました。私のとぼしい経験ですが、パニック的な状況に陥る時ほど、劇場はむしろ日常どおりに公演を行うことが、市民の無用な動揺を避ける役割を果たせる、そんな機能を持てるという例をいくつか見てまいりました。
 2003年4月頭に当時の自分の劇団ク・ナウカはアメリカ・ツアーを予定していたのですが、同年3月20日にアメリカがイラクに侵攻し、いわゆるイラク戦争が開戦しました。その時、公演先のある都市の大学の先生から「戦争をしている時こそ芸術が必要だから来てくれ」と言われて、それが僕にとって決定的な言葉になりました。実際に公演に行くと、戦争している時こそ芸術が必要だという意味がつくづくわかりました。そういう時こそ芸術や劇場の真価が問われるのだなと痛感したのです。」

 宮城「まわりの空気にすべてが左右されるような状況下では、人々の思考が規定されてしまいます。「こういうことやれる空気じゃない」「こんなことすると空気を読めない奴だと思われる」という風に、思考の幅がどんどん狭まります。主体的判断ではなく、周囲の空気に合わせるようにして、みんなで行動するようになる。戦争とは違いますが、いまの日本では多くの方が空気を、周囲を見ているような状況になっています。そんな中で、演劇を観る時間は久しぶりに自分の心で感じたり、静かに自分の頭で考えて物事に向き合う時間になる。このような営みを普段と同じように坦々と進めることが、劇場の使命ではないかと考えました。今回の演劇祭のキャッチコピーは『上を向いて歩こう せかいを感じながら。』です。世界を感じることで、自分の狭まってくる思考を柔軟にできます。今“せかい演劇祭”は必要だと思い、開催を決めました。」


【1】SPAC『真夏の夜の夢』公式ページ↓撮影:日置真光(Hioki masami)
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 ●“詩の復権”とシェイクスピア
 宮城「演劇祭のオープニング演目です。1992年に日生劇場で上演された『野田秀樹の真夏の夜の夢』を、あらたにSPACで『真夏の夜の夢』として上演します。僕は中高一貫の学校に通ってまして、中学1年の秋の文化祭で高校演劇部の芝居を観に行ったんです。別役実さんの作品で、野田秀樹さんは靴磨きの役で出演していました。本当に鮮烈と言うか、僕の場合それでほとんど人生が決まってしまって(笑)。(野田さんの)劇団夢の遊眠社の芝居もすべて観ています。野田さんの戯曲を演出するなんて100年早い。触ってはいけないもののように思っていたんですが、今回、野田作品を初めて演出します。」

 宮城「最近は日常の言葉を使う芝居が多いですが、僕は、舞台上で交わされる言葉は詩であるべきである、つまり“詩の復権”を演出家としてテーマにするようになったんです。フランスのオリビエ・ピィさんの戯曲が僕にとってはそういう戯曲です。日本では唐十郎さんだと思い、2年前に演出させていただきました。唐さんの次の世代で、舞台上の言葉を日常の次元とは違う言葉だと考えて戯曲を書かれているのは、野田さんだと思ったんです。
 また、静岡では演劇専用に作られた劇場はSPACにしかありません。静岡の観客に、演劇とはこういうことだと学んでもらうのが僕らの仕事なので、当然シェイクスピアの作品は1年に1本は上演したいと考えたんですね。年間プログラムの1本としてのシェイクスピア作品、そして日本の劇作家なら野田さんだという僕の思い、この2つの交差点が『真夏の夜の夢』となりました。」

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野田秀樹さん

 野田「私は(宮城さんの)高校の先輩なんですが、芸術監督としては後輩です。芸術監督になった時、宮城さんの(SPACの)ホームページを見て芸術監督の仕事を勉強したんです(笑)。宮城さんは静岡に毎日いらっしゃって、ちゃんと芸術監督をやってる人だと思ってるんで、このお話をいただいた時も是非やってくださいとなりました。
 『野田秀樹の真夏の夜の夢』は19年前の作品で、今とは全然違う作劇をしています。シェイクスピア作品にある“階級”“クラス”といったものは、現代の日本人が瞬間的には理解できないものなので、板前さんの話にしてパっとわかるものに変えました。年齢的なものもあるかもしれませんが、自分が今、祝祭劇を再演する気持ちはなかなかなくて。それをやってくれるのは非常にありがたいです。」

 ●“祝祭音楽劇”の演出プラン
 宮城「演出プランは詩の復権と、もうひとつ。俳優がプレイヤーとして、演技も音楽も同じ比率でやるということです。大げさに聴こえるかもしれませんが、そうすることで世界全体を描くことが可能になる気がするんです。理屈っぽ言い方になりますが、人間は言葉を獲得する前の半分と、言葉を獲得した後の半分とで形成されています。言葉は決して繰り返さないものです。たとえ同じ言葉でも、2回目は1回目に発した言葉と全く違うものになってしまいます。それに対して、言葉を獲得する以前からある呼吸や心臓の鼓動は、必ず繰り返すことを本質に持っている。気持ちいいと感じることは常に繰り返すものなんですよね。たとえばダンスや音楽がそうです。だから繰り返さずに単線で進んでいく言葉と、繰り返す本質を持つ音楽とを両方をやることによって、世界全部を描けるんじゃないかと考えました(笑)。
 また、『夏の夜の夢』は貴族階級、職人階級そして妖精界という、世界の三要素とも呼べる3つを全部いっしょにお盆の上に載せた作品です。シェイクスピア作品の中でもここまで壮大に、世界全体をいきなり描いている作品は珍しいんじゃないでしょうか。きっと言葉と音楽が半々になる演出がぴったりなんじゃないかと思います。」

 ●地上で一番弱い生き物として詩を読んでほしい
 宮城「僕は今、舞台で俳優が詩を発するとはどういことなのかに取り組んでまして、それができるのは、地上で最も弱い者として舞台に立てる俳優じゃないかと思っているんです。詩の言葉は天から降ってきた隕石のようなものであり、俳優の身の丈に合ったものとして出てくるわけではない。隕石のようなすごい言葉と出会ってしまった時、きっと人間の体は穴ぼこになって、赤くなったり、傷ついたり、血が噴き出したり色々するはず。そのような詩が自分の体にぶつかった時にできた、クレーターを見せてほしいと言ってます。そのためには俳優が、言葉の影響を受けられるほどに、自分の中の力を棄てていなければいけない。地上で一番弱い生き物であったなら、降って来た言葉にものすごい影響を受けると思うんです。そのような立ち方をしてくれと俳優に求めているので、通常の意味で演技の技術が上手い俳優は、いないかもしれません。今回は出演者の約4割がオープン・オーディションで選ばれました。」

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 ●世界全体を舞台に表そうという途方もない試み=祝祭劇
 宮城「震災以前から日本は空気を読むことにきゅうきゅうとする社会になっていて、まるで普通の人生が、平均台のように狭くなっています。ちょっと逸脱するだけで、人間という範ちゅうから落伍するのではないかというぐらいに。そういう状況になると人は自分の心で感じず、自分の頭で考えなくなります。世界に対する想像力を失って、自分という瓶の中に入ってしまうことで、日本全体が衰弱していくんじゃないかと危惧していました。
 でも本当に自分にとって貴重なものはこれだと感じられれば、日常こそ貴重な奇跡の瞬間だ、いま生きていること、普段通りの生活こそが素晴らしいと感じられれば、今、日常を失ってしまった人へのシンパシーが生まれて、何かしらの行動も生まれるかもしれない。そのためには、閉じこもるのではなく逆に、なるべく世界に対して感覚を開こうとする方が有効だと思うんです。
 感覚を開くこと自体が、演劇の表現としては祝祭に近いものになると思います。ハッピーエンドのお芝居を祝祭劇と呼ぶわけではなく、自分をとりまくものすべてを、世界全体を舞台上に表現してしまおうという馬鹿げたほど途方もない営みが、結果的に祝祭になるんです。野田さんの「ストーンヘンジ三部作」もそのようなものだったと思います。人々に世界を感じてもらうような劇にしたいです。」


【2】SPAC『天守物語』公式ページ↓撮影:六渡達郎(Rokudo tatsuo)
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 宮城「『天守物語』は先ほどお話しした2003年のアメリカ・ツアーでも上演しました。僕がこれまでに作った芝居の中で、『王女メデイア』と同じぐらい色んな国で上演させていただいています。2006年にある演劇鑑賞会で上演したきりですので、日本での一般公演はずいぶん久しぶりです(⇒2001年レビュー)。今回は野外劇場向けの新たな演出でご覧いただきます。
 1人の役を、語る俳優と動く俳優の2人で演じるという“2人1役”の手法は、僕のかつてのアイデンティティーでした。人間はロゴスとパトスに、すなわち言葉と肉体に、引き裂かれた存在だなとつくづく思っていたんですね。その手法の意味が初めてよくあらわれた作品です。」


【3】SPAC『タカセの夢』公式ページ↓撮影:日置真光(Hioki masami)
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 宮城「カメルーン出身で今は主にパリで活躍している振付家・ダンサーのメルラン・ニヤカムさんを迎えて、昨年の夏に新作ダンス『ユメミルチカラ』を上演しました。出演者はオーディションで選ばれた静岡県内の中高生です。1度で終わらせるのはもったいないと思い、継続的なプロジェクトにしました。今回の『タカセの夢』も出演者10人のうち8人は同じメンバーです(2人は受験勉強のため不参加)。
 ニヤカムさんは現代文明に対して極めて批評的な視点があって、今日の先進国の文明が失ってしまったものが何なのかを、非常に鋭く感じていらっしゃる。ニアカムさんは子供たちが禁じられていることや、本当は持っているはずなのに今日の生活で奪われて、失われつつあるものを、鋭い嗅覚で嗅ぎつけます。そして子供が自ら排除しかかっている本来持っているべきものを指摘し、再び獲得していくことが、作品創作のプロセスになっています。
 カメルーンとパリの二重生活を送る彼の中に蓄積されてきた、現代文明への批判と、本来あるべき人間の美しさを丸ごと込めることができた、希有な作品だと思います。ニアカムさんの創作歴の中でも代表的な作品になったのではないでしょうか。『タカセの夢』の稽古はもう始まってまして、さらに錬度を上げていっています。」


【4】『エクスターズ』公式ページ↓撮影:Pierre Borasci(舞台『苛々する大人の絵本』より)
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 タニノ「宮城さんから『何ヶ月間でもいいから静岡にこもって作品を作る』というお話をいただいた時、僕はそうやって作品を作ることにあこがれていたので、是非にとお受けしました。“どういうことをやるか”ももちろん考えたんですが、“どういう風に作品を作ることになるか”を最初に想像しました。つまり宮城さんからいただいた言葉で言うと、静岡の山の中で、野外劇場で、思う存分、我を忘れるほどに、作品を創作するということ。作品の内容というより、作品づくりに没頭する自分を想像して、我々のチームでやる態度自体が、この『エクスターズ』という題名につながったんです。3月後半から静岡に行ってまして、今も構想の段階です。」
 ※「エクスターズ(Extase)」はフランス語。 英語で言うところの「エクスタシー(忘我、恍惚、法悦)」←公式ブログより

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タニノクロウさん

 宮城「タニノさんにはかねてから、ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルに出場された時から注目していました。特に僕が驚いたのは『黒いOL』という作品でした。新宿に“ほったてテント”のような巨大な不思議なものを作っていて、今の彼の世代の演劇人の中では例外的に身の丈に合わない、途方もないことをやろうとしていた。たとえば野田秀樹さん、唐十郎さん、かつての鈴木忠志さんもそうですけど、等身大を超えたものを観られるのが、僕が一番最初に演劇に惹かれた理由だったんですね。僕にとっては化け物たちが跳梁跋扈している、バカでかい世界そのものを舞台上に持ち込んでしまうことが祝祭である、神を降ろして来る祭りであると思っているんです。
 祭りとしての演劇があまりに少なくなると、演劇の力を世の中の人が見誤るんじゃないかという一種の危惧もありました。だからタニノさんの作品を観て、こういうバカげたことをやっている人がいたんだと、とっても安心したんです(笑)。ご自分のマンションを改造し、『黒いOL』とは正反対の、ミクロのプレパラートの中をそのまま見せる方向の作品も観て(⇒レビュー ⇒関連記事)、世界で活躍する若手演劇人はこの人だという感覚を持ちました。
 タニノさんにとって一番いい創作の場を用意するとしたら、どういう場なのか。とにかく長期間この人が好き勝手できるように、劇場をそのままポーンと預けてしまうことが一番いいだろう、それが彼にとって一番力が出せる場じゃないかと考えました。野外劇場を3月末から6月頭までずっと自由にお使いいただき、数ヶ月かけて作ったものをお客さんに見せてもらう。僕が一番楽しみにできるシチュエーションを用意させていただきました。」

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 ●静岡で“せかい演劇祭”をやる意味
 宮城「町中にアーティストがうろちょろしていて、歩いてると変わった人とすれ違うような環境を、1ヶ月でも1週間でも作りたい。少なくとも地方においては珍しいことですから。実際、日本の芸術家の大半が地方に住んでいないので、色んな人がいるのは東京だけです。今、特に地方は“普通の人生”の幅が狭くて、束縛が強い。そこからはずれると落伍者になるような感じなので、若い人たちは失敗しないように周りを見ながら生きています。そんな中でアーティストという人生もあるんだという実例を見せて、「こんな人がいるんだ、これでも生きていられるんだ」と実感してもらえたら。コルクで栓をされた瓶の中の人生において、コルクを取るような効果があるのではないか。だからこういう(演劇祭の)時間をつくることが大事だと思っています。」


【5】『椿姫―何日君再来』公式ページ↓撮影:Liu Chen-Hsiang(C)National Chiang Kai-Shek Cultural Center,R.O.C.
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 宮城「鈴木忠志さんが昨年、台湾で創作した最新作です。デュマ・フィス作『椿姫』を“流行音楽悲恋歌劇”という、流行歌をちりばめたミュージカルに作り変えました。日本初演となります。出演するのはオーディションで選ばれた台湾の俳優です。鈴木さんは今、アジアのどこへ行っても“アジアを代表する巨匠”として熱狂的に迎えられています。特に演出依頼が引きも切らないそうです。
 『椿姫』はヴェルディのオペラが原作以上に有名ですが、鈴木さんはそこに現代人の心の病の原点を見つけていきます。鈴木さんはどんな古典をやる時でも『私は世界をこう見る』という視点を演出に組み込まれる方。この物語が今もなお生き伸びているのは、それを必要とする人がいるからだ、では一体どういう精神状態の人が必要としているのか・・・といった分析も含め、世界の中の台湾という場所にある問題点をえぐるような形で上演されます。鈴木さんの現代に対する切り込みが、そのまま演出に表れてくるのが特徴です。
 上演中は台湾のインターネット上で“椿姫事件”と呼ばれるほどに白熱し、大評判を呼んだそうです。台湾の俳優は歌唱力も素晴らしいです。」


【6】『ウェルカム・トゥ・ノーウェア』 ★公演中止 無料上映会あり!⇒公式ページ↓撮影:Jon Weiss
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 宮城「テンポラリー・ディストーションという劇団をひきいるケネス・コリンズさんは、ニューヨークを拠点に活動する最先端の演劇人の一人です。若手演出家ですが、海外で非常に話題になり始めている方です。
 この作品では、俳優たちは直立不動でマイクを持って正面に向かってしゃべります。俳優同士が視線を交わすことはありません。舞台上部ではこの作品のために作られた映画が上映され、その下で登場人物のセリフが語られます。映画の中では役と役がかかわりを持つんですが、生身の俳優は何のコンタクトもせず、ただ棒立ちで観客に向かって、マイクを通してセリフを言い続けるのです。今日の人間の孤立ないしは、人生がひとつの箱の中で始まり、他者と何のかかわりもなく終わっていく感覚を見事に形にしています。孤独を、心の孤立感をこれほど切実に表現できている演劇は他にはない、そういう評価を得ている作品です。」
 ※東日本大震災の影響によるアメリカ合衆国政府からの渡航自粛勧告を受け、カンパニーが来日を断念。チケットの払い戻しについてはこちらをご確認ください。
 ※『ウェルカム・トゥ・ノーウェア』上映会決定!入場無料・要予約。
  日時:6月11日(土)13時30分&6月12日(日)18時


【7】『この凶暴な闇』 ★演目変更し『ヘンリー五世』を上演予定だったが(⇒ニュース)、ピーター・ブルック演出『WHY WHY』をに公演変更。(⇒ニュース、⇒記事
 ⇒『この凶暴な闇』公式ページ↓撮影:Gianluigi Di Napoli
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 宮城「演出のピッポ・デルボーノさんは、海外のどの演劇祭でも必ず出ているようなスターで、ニアカムさんと同じく2007年のShizuoka春の芸術祭で始めて招聘しました。彼はイタリアでエリートコースと言っていいぐらいの演劇人の道を歩んでいたのですが、HIVポジティブなんです。死と直面し打ちひしがれ、創作活動が不可能なほどに痩せて歩くこともできなくなった、そんな時期に、アルコール中毒者や障害をもつ人、自閉症の人たちと演劇のワークショップを行いました。そこでやっと、この先も生きていけるという希望を見い出したそうです。ピッポさんの劇団のメンバーは、その時のワークショップの参加者なんですね。
 劇団はほとんど毎日のように旅をして、世界中の演劇祭をまわっています。劇団の存在そのものが奇跡と言っていい人たちです。この世界で、最も弱い者の場所に立つということを、表現者として本当にやれている数少ない人だと思います。『この凶暴な闇』は、ピッポさんにとって最も近い問題だったと思われるエイズを扱った作品です。」
 ★おとな向け:刺激の強い表現がありますので、若年者の観劇はおすすめしません。


【8】『時の商人』 ★公演中止 無料上映パフォーマンスあり!⇒公式ページ↓撮影:Elisabeth Carecchio
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 宮城「フランスである意味最も注目されているジョエル・ポムラさんの作品で、フランスの新聞ル・モンドの、芸能面や文化面じゃなく一面で論じられた、センセーショナルな衝撃を与えた舞台です。フランスのオデオン座の芸術監督であるオリビエ・ピィさんがポムラさんを非常に高く評価していて、オデオン座のアソシエイト・アーティストになっています。ピィさんによると、ポムラさんは現代で最も重要な詩人だそうです。
 美しい舞台美術の中で俳優たちが無言で演じます。その横で、声だけが一人称のモノローグの形で与えられていく。俳優のセリフとして語られるモノローグと、舞台上でだんまりで上演されている内容は、重なったりずれたりを繰り返します。言葉の意味と、目に見えているものとの重なりやズレが、観客の想像力を刺激していくんですね。
 作品には、仕事を失うというか、仕事に就くことさえできない人たちが出てきます。今日の日本がはからずも直面した危機が、実は世界中で共有されている危機なんだと感じさせるお芝居だと思います。」
 ※東日本大震災およびその影響によりカンパニーの来日が困難となり公演中止。チケットの払い戻しについてはこちらをご確認ください。


【9】『インド古典舞踊劇・ナンギャール・クートゥー』2演目 ⇒公式ページ↓撮影:P.V.Jayan_ 写真提供:Natanakairari
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 宮城「カピラ・ヴェヌさんをまたお呼びすることになりました。2006年に僕の昔の劇団ク・ナウカのパリ公演があり、カピラさんも僕らと同じクロード・レヴィ=ストロース劇場に出演されていたんです。若くて小柄な演者が舞台に立った途端、地面の中に何十メートルも根を生やす木のように見えた。驚くべき力量の持ち主だと思いました。終演後に会って話してみたら、彼女の師匠は彼女自身の父親と、舞踏家の田中泯さんだとおっしゃって、また驚かされました。田中さんのもとで彼女は舞踏をやっています。1000年以上続くインドの古典劇をやりながら、現代の最先端の芸術にもアンテナを張ってらいらっしゃるんですね。
 僕は自分が演出をする時に、カピラさんだったらこの役をどうやるかな、としばしば参照するんです。少々年齢は違いますが、僕は彼女のことを舞台芸術界という同じ土俵の上にいる、一種のライバルだと思っています。」


【10】『シモン・ボリバル、夢の断片』 【公演内容の変更】公式ページ↓撮影:Josep Aznar
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 宮城「オマール・ボラスさんの作品は、1999年の第2回シアター・オリンピックスが静岡で開かれた時に初めて観ました。巨匠たちが居並ぶ中にいた、若いコロンビア生まれの演出家です。事前の期待値は小さかったのですが、見終わった時、「この人には負けたくない」「この先、この人と張り合ってやっていこう」と確信するぐらい、自分にとって大きな出会いでした。
 ボラスさんの家庭は裕福ではなく、コロンビアでは演劇や俳優をやれる環境を得られませんでした。20歳のころ、着の身着のままで密入国さながらにパリに入り、路上で人形劇をやったりして小金を稼ぎながらの生活を始めます。やがて劇場の裏口を出入りする人たちと仲良くなって、天井桟敷で毎日ピナ・バウシュの舞台を観たりしていたんですね。ある日ピナが「あのコ、毎日あそこにいるわね、ちょっと呼んできなさい」ってことになり(笑)、なんとピナのツアーに同行することに・・・本当にあるんですね、こんな話!
 彼は今スイスで活動しています。廃屋に住んでいる浮浪者たちと芝居を作ったことなどが認められて助成金を得たりして、ジュネーブで今日の地位を築きました。演劇が人を変え、街を変えていく。そんなことを地でやっていく人です。演劇が彼の人生そのものと言っていいでしょう。その人が30年振りにコロンビアに帰って、プロになって初めて故国で作った芝居が『シモン・ボリバル、夢の断片』です。シモン・ボリバルとは南米の5カ国を独立させた革命家で、詩人でもありました。非常に大きな影響を与えた歴史的人物ですが、部下や身内の裏切りが相次ぎ、わずか47歳で暗殺されてしまいます。ボラスさんご自身がシモンの役を演じます。」
 ※東日本大震災およびその影響によりコロンビア人ミュージシャンの来日が中止、作品の構成を変更せざるを得ない状況になりました。演出・主演のオマール・ポラスは「俳優一人、椅子一つ、ロウソク一本だけでも芝居は続けうることを示したい。」と上演の意志を表明しています。詳細は決定次第、SPACの本ホームページで発表いたします。
 なお、作品構成の変更により、観劇のキャンセルをご希望される方は、チケットの払い戻しに対応させていただきます。こちらをご確認ください。


【11】『ヒロシマ・モナムール』公式ページ↓撮影:Mario Del Curio
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 宮城「『ヒロシマ・モナムール』は作家のマルグリット・デュラスさんが映画のシナリオとして書いたものです。『24時間の情事』というタイトルで映画化されました。映画のシナリオから舞台に立ちあげた作品です。演出家はクリスティーヌ・ルタイユールさんという女性。デュラスさんも女性。主演もヴァレリー・ラングさんという女性です。この3人のフランス人女性が特別の思い入れを持って作った作品と言えるでしょう。広島でフランス人女優と日本人建築家が出会い、たった24時間しかない中、深く愛し合うお話です。招聘したいと思ったのはもちろん今の状況を知る前ですが、今の我々の状況の中で、格段の深い意味を持つ作品になっていると思います。」
 ★おとな向け:刺激の強い表現がありますので、若年者の観劇はおすすめしません。


 ■大震災のもとで
 宮城「劇場は市民の精神の文鎮みたいなものかなと思っています。極端から極端へと人々の心や判断が動いてしまいがちな時こそ、文鎮として、いつもと同じように重しとしてあることが大事なんじゃないか。ちょうど『グリム童話』のゲネプロの時に地震があったんですが、そんな気持ちで上演を決行しました。」

 野田「地震の時は多摩美の入試でちょうど実技試験をやっていました。『南へ』という作品を上演中だったので、すぐ劇場に向かい18時30分ぐらいには着きましたけど、開演しなくちゃいけないという気持ちしかなかったですね。上演をしないという選択肢は自分の中になかった。でも劇場が都の施設なので、東京都の判断により数日間やらないことになって。
 私はあまり複雑なことは考えてなくて。自分たちは芝居をやる人間なので芝居をやる。それはどんな時代も変わらないんじゃないかと。罹災地の皆さんとは全然違う話だと、単純に考えています。僕は芝居をやる人間なので芝居をやる、と。
 あとは停電の問題が出てきたので、そこは劇場のエゴにならないようにしないと。おそらくこれから日本のお芝居への世間的な風当たりが強くなるんじゃないか。でも“自粛”とかは良くないよね。自粛すべき場所に居ないのに、そういうことをやってしまうことの方が問題かもしれない。」

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野田さん、宮城さん、タニノさん

 宮城「空気で行動してしまうのが良くないと思います。「何か出来ることはないのか」と瞬間的に思うのは確かなんですけど、「何かしないとまずいんじゃないか」となってしまうと主体的な考えじゃない。演劇人や芸術家が直接世の中の役に立とうと思うと、心の底からの表現とは違った、妙に実効性のあるものに手を出してしまう。一人ひとりがもの作りの原点に立ち返れば、周りに合わせたり空気を読んだりするはずがないのに、周囲を見るうちにいつの間にか「なにかしなきゃいけない」「今、これをやれば役に立てるんじゃないか」といった表面的な判断に至り、過ちと言っていいような行動を起こしてしまう。戦前の日本の演劇人がファシズムに大いに加担してしまったのも、そのせいかもしれないと思うんです。
 そういう時に劇場は、普段当たり前だった日常こそが、実は奇跡的な瞬間の集まりだったんだと、もう一度思い出してもらう場所になれればいい。観客が日常って素晴らしいんだと思えれば、被災して劇場に行けない、日常を取り返すことが大変になっている人たちへのシンパシーが生まれてくるのではないでしょうか。」

 野田「『南へ』は数ステージ休演して15日から公演を再開しました。15日からの1週間は、毎日芝居の持っている言葉の意味が違って聞こえた。15日は特に、それまでに上演していた芝居とはおよそ違った音として、観客がひとつずつの単語を違った意味で受け取っているようでした。震災という環境で、言葉はこんなに変わり、我々が作った空想の世界が、現実によってこんなに違って見えてしまうのだなと。
 19日までは空席もありました。たとえは悪いかもしれないけれど、戦時下で芝居をするとしたら、およそこういう緊張感や集中力があり、そして言葉のひとつずつをポジティブに、前向きにとらえようとしてくれるお客さんがいるんだなと。それが舞台上から自分が得た感覚でした。でも20日を過ぎたあたりから、もとのお客さんに少しずつ戻っていった。もちろん日常に戻っていくのはいいことなんだけれど、このお客さんたちはたった1週間前のことを、もうそろそろ忘はじめているのかもしれない。平穏に戻ることを望みながらも、そんな違う気持ちがありました。おそらく表現者としての感覚だと思います。
 自分は少なくとも「がんばろう日本」だけでは済まないと思っているんですね。がんばってなんとかなるんだったら、がんばればいい。でもこういうものは、がんばっただけで立ち直れるものじゃなかったりする。たとえば失ったものに対してとか。そういうところを表現者がどういう風に見て、感じて、どういう風に表現するのか。芸術家にとって、今ほど、作るものが自ずと影響を受けている時期はないような気がします。表現者としてあなたはどういう者ですかと、資質を問われると思う。」

 タニノ「野田さん、宮城さんのお話を聞いていて考えたですが、僕はずいぶんとちっぽけな人間なものですから、割と変わらないんですよ。普段からいつだって世界中で色んな大変なこと起こってますよね。だからあまり大きくはとらえていません。今後どうなるかも全くわからないですし、きっとまた変わっていくと思います。震災の当事者として自分は、現時点で何かを喪失したわけではありません。僕は演劇を作っているんですから、ひとつの出来事として考えなきゃいけないだろうと思っています。」


SPAC「ふじのくに⇔せかい演劇祭2011」
チケット:一般大人4,000円/大学生・専門学校生2,000円/高校生以下1,000円 ※SPACの会特典のほか、ゆうゆう割引、早期購入割引、みるみる割引、ペア/グループ割引などの割引料金があります。
http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/

※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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Posted by shinobu at 2011年04月14日 23:05 | TrackBack (0)