今回のシアターアーツ劇評講座のテーマは「震災後の演劇を語る」。仙台で活動する劇作家・演出家の石川裕人さん(TheatreGroup"OCT/PASS)、劇作家・演出家の永井愛さん(二兎社)、日本経済新聞記者の内田洋一さんを迎え、劇評家の西堂行人さんが進行されました。
今回の大震災の被災状況は非常に深刻で、阪神・淡路大震災と比較できるものでもないということが、実際に被災地に行かれた方々の生の声でよくわかりました。
石川さんが「今後、東北から生まれる芝居に注目してください」とおっしゃってくださり、3月11日を境に切り裂かれた時間がつながったように感じました。そして「Art Revival Connection TOHOKU」(ARC>T/アルクト)が既に実績をあげていることに感動しました。ありがとうございました。
阪神・淡路大震災の被災者でもある内田さんは「阪神大震災は演劇を変えるか」↓を出版されています。
永井さんは6月3日(金)に原発関連戯曲のリーディング公演を演出されます。
●非戦を選ぶ演劇人の会有志unitチワワ チャリティーリーディング
「それゆけ安全マン!?~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~」
日時:2011年6月3日(金)15時、19時開演。
会場:笹塚ファクトリー
作:相馬杜宇/清水弥生 演出:永井愛
「悲劇喜劇2011年06月号」は震災特集です。
下記に私がメモしたことをまとめました。全体の4分の1以下ぐらいの内容だと思います。解釈や意味を間違っている可能性はあります。
シアターアーツ最新号に前回の記録が掲載されましたので、きっと今回は次号も載ると思います。
■仙台の現在の様子
石川:宮城の沿岸地域に行ってみたけれど、町が壊滅しているような状態。公演が中止・延期され、役者も舞台スタッフも職を失った。何より劇場が壊滅状態。天井が落ちたりスプリンクラーがまわって水が撒かれたり。観客の安全を確保できない。仙台では劇団も演劇人も動き出していない。個人的には本を読むのも無理。映画も芝居も観たくない日々。今も芝居で何ができるのかわからない。
■4トントラックで被災地に行き、子供向け短編芝居を上演(キャラバン「夢トラック劇場」)
石川:震災の日から2週間後に演劇人が集まって、そこからアルクトが誕生した。Save the Children Japanという組織からアルクトに、被災地で子供のためのお芝居をしないかという話が来た。私は被災地をめぐりたかった(だから引き受けた)。宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を30分間の5人芝居に書きかえて、1週間の稽古をして作った。子供が休みになるゴールデンウィークに4トントラックで被災地に持っていった。陸前高田で上演する時は遠野の宿舎を拠点にした。
無印良品のイスづくりワークショップとセットになっており、13時から1時間で子供たちは紙製のイスをつくる。その後14時から30分の芝居を観る。そして子供たちにプレゼントをあげる。子供たちは真剣に観てくれた。場所はショッピングタウンや避難所の近くにある体育館など。避難所に入ってやるというのは聞いたことがない。今、乱暴に避難所の中に入って行って芝居をやるのは無理。大人向けは難しい。避難所による。険悪なムードの避難所もあるし、わきあいあいとしてる避難所もある。リーダーの性格による(永井さんも同意見)。代表者とうまく付き合いをしないとだめ。今後、仮設住宅に集会所も作るなら、そこに行けるかもしれない。
■阪神淡路大震災より深刻
内田:阪神淡路大震災(以下、阪神)と比べようとしても、現地を見たら内容も規模もかなり違う。コミュニティーごとなくなっていたりする。被害を受けたのは海岸で都市部ではないし、広域。原発の危機も続いている。阪神は局所的に襲った地震だったから今回の方がより深刻。比較して語れない。たとえば南三陸町は地震で半分がなくなった。なくなった町をゼロから作るとしても、建物を建てたりするだけでなく、文化の記憶の復興を考えないと、人は生きていけないのではないか。
内田:私は阪神の復興が早かったとは思っていない。神戸は地域のつながりが大きかったから、避難所をくじ引きで決めるなどのお役所仕事のせいで、コミュニティーがばらばらにされた。弱者優先の考えで年寄りから順番に決まり、ある避難所は老人しかいないとか。新潟県中越地震では改善が見られた。今回ももちろん改善されるべき。小さい漁業の町が多数被災しているのだから、注意深くしなければ。ただモノを収容するようにハコを作って人を入れてはだめ。人間的なうるおいを作らないと。たとえば被災者は花を活けるといった行為をなかなかできるようになれない。再建のプロセスにおいて文化の力は大きい。最初の一歩を築けるかもしれない。
内田:私の経験上、マスコミは2ヶ月で飽きる。体制的にそうなる。「一日も早い復興を」と言ってるうちに、言ってる側が復興した気になる。だから現場とは時差がある。今、仙台でちょっと酒を飲んでも、「オートバイで子供を助けたが、親は置いてきてしまった」とか、そんな話がごろごろしている。しゃべればしゃべるほど傷つく。だから(首都圏や被害の少なかった地域から)被災地に行くだけでも「忘れられてなかった」(と思ってもらえる)という効果はある。そんな意識をもった演劇人がいれば、なんとかなるのではないか。それを東京がバックアップすればいい。
■弱者が取り残されていく
西堂:大阪の西成で10mごとに募金箱(に順ずるもの?)が設置されていた。西成(釜ヶ崎)というと西日本最大のよせ場。日雇い労働者の町。この震災にいち早く反応している。今後、故郷に戻れない避難民がどこに行き着くのか、直感的に察知したのではないか。『焼肉ドラゴン』でも「不承不承生きてる」というセリフがあった。それは難民の言葉。いずれ文化的問題を引き連れてくる。
内田:弱者が取り残されていくだろう。たとえば罹災証明の字が書けない人とか。今まで隠されていた負の部分が一気に噴き出すのが災害。徐々に見えてくる。
■震災で変わる演劇
内田:シアターコクーン『たいこどんどん』は東北の各地を転々と流浪する物語で、(ネタバレになるが)津波を思わせるラストシーンだった。震災前と後では観る側の感覚に相違がある。新国立劇場の『ゴドーを待ちながら』は震災後の祈りが塗り重ねられている。ノダマップの『南へ』は観客の危機感を吸って舞台が生々しいものに変化した。規模は違うが阪神でもそういうことはあった。地震や災害は「主語」にならない。受け止める側が変わるから。観客や作り手の意識、認識が変わるから舞台も違うものになる。松田正隆の『蝶のやうな私の郷愁』は長崎の大水害を描いている。夫を失った妻は最後は泣き叫ばず、ただせんべいをかじる音を響かせる。巨大な災害に遭うと、人は泣いたりわめいたりしない。たんたんと生きる。演劇が現地で何ができるのか、今は材料も少ないのでわからない。
■二兎社『シングルマザーズ』は土日の4ステージを中止
永井:東京都の要請で『シングルマザーズ』を4ステージ休演し、800人の観客を失った。点検のための中止になったが、点検は一晩でできたはず。劇団はチケットの振り替え作業が大変で、チケット収入、作業時間、電話代なども含めて大きな損害が出た。なのに都も財団も「天災なので保証する必要ない」と通達。年度末なので予算が取れないとか。腹を割った協議もなかった。中止する公演が続く中で野田(秀樹)さんの提言には励まされた。
西堂:震災が起こったときは演劇人も、「今こそ演劇を」という人と、「芝居をやる気になれない」という人(例:仲代達也氏)と、いろいろだった。私は対応が先走りすぎていないかとも思った。
永井:私はとにかく幕を開けたいと思っていた。必死で作ったものを見せたい。観てくれるお客さんが減ってしまうのがとにかく悲しい。理屈を超えた私のエゴだろう。だから幕を開けさせまいとする力が、信じられなかった。私を殺す気かと思った。
西堂:自分のためにやるのが大事。たとえばボランティアでも。自分のためにやることが他人を必要とし、たくさん他人が集まると自分以上の力が発揮できる(それが演劇でもある)。
■えずこホールでの『シングルマザーズ』無料公演
永井:4月12日に仙台のえずこホールで『シングルマザーズ』無料公演を実施した。東京公演終了後すぐにえずこホールに向かい、劇場の安全を確認。えずこホールは福島第一原発から75kmのところ。劇場に着くなり「マスクをつけてください!ここは東京よりも線量が何倍も高いです」と言われた。劇場の人に車で沿岸地域に連れて行ってもらった。ある道路を境に驚くべき光景が広がった。家の窓とドアに2つの船が突っ込んでいたり。今までに観たことのない景色。それで気持ちは決まった。劇場主催公演だが二兎社は上演料をいただかないと。すると劇場もチケット代を取らないとおっしゃった。すでに300枚売れていたが、劇場受付で現金でお返しした。
4月12日には東北新幹線は部分的に復帰していた。当日の朝に地震があったがすぐ復旧したので行けた。キャストにも上演前に沿岸地域を見てもらった。800席の劇場が満席だった。劇場に避難所用の往復バスを用意してもらったが、避難所から来たのは30人ぐらい。ロビーでは久々に再会した人たちが「元気だった?」「あの時どうしてた?」などと語り合っていた。忘れがたい、不思議な、経験したことのない雰囲気のロビーだった。開演前も終演後も。何らかの力をいただいたと思う。
西堂:劇場は来ることで生きていることを確認する場。震災時のホールの対応については悲劇喜劇、シアターガイドが特集をしている。
永井:二兎社はいつも、お芝居が終わってカーテンコールが始まると、比較的すぐに劇場のドアを開けるようにしている。どんなステージでも「つまらない!」と腹を立てている観客はいる。そういう人が我慢してカーテンコールを見ているという状況は、どうしても避けたい。だからえずこホール公演は上演中もひやひやしていた。私の公演如何ではなく、それとは関係ないところで人が集まっているのもあったから。ロビーが広場になっていた。何かのパーティーではなく、芝居を観に来て、ロビーで話すということが特別だった。独特の集まり方をしていた。
■アルクトの今後/東京からサポートすべき
石川:アルクトは一応2年限定の活動としている。目に見える形での実績が重要。支援金が集まってきていることを受けて、NPO法人化も考えている。海外だとドイツから支援金が送られてくる。
内田:アルクトのような組織は、東京が支えないと継続できない可能性がある。マンパワーにおいても資金力においても。人が足りないし人材がいない。演劇人の長期滞在も視野に入れてはどうか。
■この震災から新しいものが生まれる可能性
どなたか失念:この大災厄以前に3000年以上続いてきた演劇。ガレキの街で新しいものが力を与えられるのではないか。
石川:被災地では、「ありがとう」「ごきげんよう」というものすごく普通の言葉が際立って、粒立っている。日本語はこんな響きをするのかと。ものすごい感動の深さ。
永井:仙台市亘理町のガレキを見た。あれを5~10年も見つづけながら暮らすと思うと・・・。当事者ではないが、解決不可能なものを目にした。解決不可能な問題に対して恐ろしく無能な政府の対応、収束が見えない原発事故など、阪神の時とは違う、底なし沼のようなものを見ている。今はいい方向ではないが、何かが生まれるとは思う。
石川:東北は傷ついた。痛ましい。自分自身が東北人だがあわれむような気持ちもある。この風土をなぐさめたい。祈りたいような気持ち。宮沢賢治は祈りの作家だと思う。復興というのではないし、もう一度戻るのでもない。痛んだものを修復したい。そういう芝居を書いていきたい。今までなんとなく楽しいからと芝居をしてきた若者が、「何かのためにやっていく、ということをしなければいけない」と言っていた。若者がガツンと感じている。今後の東北発信の芝居にご注目いただきたい。
■被災劇場の取材報告(柾木博行)
【水戸芸術館】
パイプオルガンのパイプが落ちている写真など。その場所を通らないと入れない劇場は復帰未定。
【いわきアリオス】
反響板のある方の劇場は復帰の見通しがまだ立たない。建物が大丈夫でも機構が充実しているホールの方が、復帰に時間がかかる。4月8日に8月まで閉館を発表したが、そのホールは12月再開を目指しているとのこと。原発については東京に対して複雑な心境もあるようだった。
●皆さんのお話から感じたこと
震災から2週間過ぎたころ、東北の演劇人が初めて集まった会議をUstreamを観ていたので、そこから「Art Revival Connection TOHOKU」(ARC>T・アルクト)が誕生し、すでに実績をあげていることに感動しました。
阪神淡路大震災の時もそういう集団に寄付が集まったものの、分配方法を決めるのが困難だったため、全て日本赤十字社に寄付したとのこと(内田さんの書籍より)。私の個人的希望ですが、今回はそうならないで欲しいです。アルクトがこれからも東北地方の舞台芸術関係者らの拠点・窓口として存続していくことを望みます。それには東京からの支援が必要ですよね!受付に石川さんへの義援金箱が設置されていたので小額寄付させていただきました。
5月8日(日)18:30~21:00
登壇者:石川裕人 永井愛 内田洋一 西堂行人 被災劇場取材報告:柾木博行
※仙台で長年活動している劇作家・演出家の石川裕人氏を迎え、二兎社の永井愛氏、阪神大震災の被災者でもある日経記者内田洋一氏が参加。
参加費:1,000円(資料代)
http://theatrearts.activist.jp/2011/04/vol6.html
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