舞台芸術制作者オープンネットワーク[ON-PAM(オンパム)]第3回文化政策委員会に参加しました(関連エントリー⇒1、2)。
今回のテーマは『公共・劇場について考えるー劇場法制定を受けて』。ウィーン芸術週間のディレクター、ドラマトゥルクのドイツ人お2人と、F/T実行委員長の市村作知雄さん(⇒ネットTAMリレーコラム)、そして座・高円寺の芸術監督である佐藤信のお話を拝聴しました。佐藤さんについては、最初に約1時間弱の基調講演がありました。
以下、私はメモしたことのまとめです。語られたことが網羅されているわけではありませんし、ですます調だったり断言口調だったり、語法も統一されていませんし、申し訳ないのですが正確性にも責任は取れません。私が大切だと思ったことをなるべく多く、語られたことの意味を歪曲させないよう心掛けて記録しましたので、よかったら参考にしていただけたらと思います。一番下に私の感想も書いています。
■ON-PAM第3回文化政策委員会
公共・劇場について考えるー劇場法制定を受けて
<登壇者(50音順)>
市村作知雄(東京芸術大学准教授、F/T実行委員長)
佐藤信(座・高円寺 芸術監督)、
シュテファニー・カープ(ウィーン芸術週間・演劇部門 前・ディレクター)
マティアス・ピース(ムーザントゥルム芸術監督)
モデレーター:丸岡ひろみ(PARC理事長、TPAMディレクター)
●佐藤信さん 基調講演
佐藤:80年代のはじめから劇場の立ち上げに関わり、これまでに12個の劇場設立に携わってきた。最初は22歳の時。小さな劇場を立ち上げた。今日は下記3つについて話します。
・スパイラルホール(1985年開館)
・世田谷パブリックシアター(1997年開館)
・座・高円寺(2009年開館)
佐藤:劇場は長期(10年)、中期(5年)、短期(2年)の三段階に分けてプログラミングを考える。最初に重要なのは長期スパンの考え方。大きな枠組みがその劇場の個性になる。
佐藤:スパイラルホールの最初のプログラムでは、優秀な制作者がついている演出家を選んだ。木村光一、蜷川幸雄、など。
佐藤:スパイラルホールでは、現場のスタッフ(受付回りや技術者)を外注し、プロデューサーは社内で育てる方針をとった。プロデューサーは新鮮なまなざしが必要。ワコールの社員がヨーロッパのフェスティバルでフィリップ・ジャンティを発見した。その後、ダムタイプや飴屋法水などを取り上げていく。モノと体を使う大胆な試みをする劇場というイメージを確立。
佐藤:世田谷パブリックシアターが開館するまで、10年かかっている。その10年間に小劇場シーンをウォッチしていた。調査した結果、ダンスでも演劇でも同じ劇場を使ってることがわかった。
佐藤:プログラミングと(自分が)作・演出する作品との成功にはズレがある。芸術監督がプログラムを決める場合、その中の作品を芸術監督自身が演出するのはやめようと思った。だから世田パブでは松井憲太郎さんがプログラムをした作品を、私が演出した。
佐藤:世田パブでは事業予算の3分の1をアウトリーチ・プログラムに割いた。技術スタッフにもアウトリーチ事業の予算をつけた。それが今も受け継がれていると思う。大道芸は劇場からアーティストが出て行って、また劇場に戻っていくという流れを作りたかった。
佐藤:劇場は立ち上げから2年でステータスが決まる。それを崩すにはその後に一世代必要。最初の2年のステータスをひきずってしまう。閉館したセゾン劇場はピーター・ブルックを招聘していたが、東京のメインの劇場にはなれなかった。おそらく最初の方に何らかの問題があったのだろう。
佐藤:芸術監督は少なくとも3年の任期が必要。仕事を達成するには5年必要。でなければ力を発揮できない。
佐藤:劇場法ができたが、劇場法にもとづいて運営されている劇場は、今の日本にはほとんどないのが現状。ほとんどが「劇場、音楽堂、文化会館など」のうちの文化会館。今の劇場法は劇場の理念を定めたものだと思っていい。
佐藤:座・高円寺は開館までに7年かかっている。同じ大きさの劇場を2つつくり、1つは劇場の事業で使い、もう1つは一般市民向けの貸し小屋とした。つまり半々。1つの劇場の年間プログラムを考えなければいけない。劇場を動かさない期間をつくるわけにいかないから。それで今では、日本劇作家協会が年間の3分の1の期間、公演を実施してくれている。「劇作家の新作がかかる劇場」となっている。
佐藤:開館前から地域協議会をやってきて本当によかった。劇場の事業予算でつくった『旅とあいつとお姫さま』は杉並区の小学4年生全員を招待している。もう5年続いた。この作品はイタリアのテアトル・キズメットの演出家と創作した。童話がもとになっているので、残酷だったりエロティックだったりする。当然苦情が来る。それは演出家ではなく私が対応している。
佐藤:週末に読み聞かせの企画がある。カフェで子供が絵本をえらび、それを大人に読んでもらう。子供が自分で本を選べることが重要。週末に大人(俳優)を2~3人雇う事業は、採算が取れないので民間ではできない。こういう小さな事業こそ公共はやるべき。
佐藤:『ふたごの星』には天の川が出てくるが、今の子供は「天の川」を考えることができない。知らないから。でもちょっと離れた地域の子供だと、(天の川を見たことがあるから)パっとわかる。
佐藤:14歳までの子供にとっては、(生まれ育つ)地域が世界のすべて。そこから出ていくことができないのだから。その時期に経験したことが、その子供のすべてになる。その時期の記憶、経験の類推で思考することになる(だからとても重要)。子供たちにどういう思い出を残すのかは、10年間の長期プランで支えるしかない。
佐藤:規模は(自ずと)拡大していくものだ。座・高円寺は拡大を抑えるために、自分で自分の首を絞めるような予算の決まりを作った。拡大を抑えるのはスタッフを疲弊させないため。50人も職員がいる劇場は機能しない。小さな予算で、少人数のスタッフにすることが大事。
●パネルディスカッション
マティアス:佐藤さんのお話が大変興味深かったです。下着会社の劇場(スパイラルホール)での奮闘はまるで「地獄」。そして現在携わっていらっしゃる“地域の劇場(コミュニティー・シアター)”である座・高円寺は「天国」。地獄から天国へ旅してきたようなご功績ですね(笑)。
市村:日本でパレスティナの作品をつくって地方公演をしようとしたら、「公共ホールではそんな政治色の強い作品は上演できない」と断られた。「公共ホールだからできない/できる」「民間企業だからできる/できない」という理由が、曖昧。公共のあり方を論議すべき。
シュテファニー:芸術はエンテーテインメントやマーケティングとは厳格に分けられている。「税金をもらって創作しているなら、なぜもっと複雑なものを上演しないんだ」と、市民から苦情が出るのが不通。もともと劇場は政治的なものを作り発表する場だった。
シュテファニー:ドイツでは税金の0.1%が文化に投入されている。芸術は問題を解決するのではなく、つくるためにある。問いを立てて、問題を現前化する。
丸岡:日本の観客は、「難解な作品になぜ税金を投入するのか?(やめるべき)」と考える傾向もある。日本はアートの前提を共有する段階にいたっていないのではないか。ここでは「芸術は社会に必要である」という前提で議論をします。
市村:劇場での性的表現について。前のF/Tでも話したことだが、電車の中づり広告が性の無法地帯になっているのに、劇場内で性的表現を制限せよと言われるのは矛盾している。これも議論すべき。
丸岡:表現の自由については以前にON-PAMで会合を持ちました。「表現の自由の対価を保証するのがプロデューサーの仕事である」ということを共有しました。
佐藤:公共ホールは政治に関わるべきだと思っている。劇場で今までとは違うものの見方を発見、獲得、周知することができる。そのためにはロング・タームで関わる必要がある。だから10年のビジョンをたてる。公共ホールの大きな役割だと思う。昔、解体社という劇団が大逆、つまり「反天皇」を題材にした舞台をつくった。そういう作品も(上演しても)大丈夫だと言うために、アーティスティック・ディレクター(芸術監督)がいる。こういうことをやらないと、公共ホールは死んでしまう。
佐藤:芸術監督にはキュレーターとかプログラム・オフィサーとか色んな側面がある。私は「プログラムを守ること」が一番大きな役割だと思う。つまり上演する作品を守ること。劇場運営をしていればいろんな齟齬がおこる。地域と合意形成をすることが大切。私はちかごろ、ブログで政治的な発言をするようにしている。そういうアクティブな姿勢が必要。芸術監督はキュレーターでもプロデューサーでもドラマトゥルクでもなく、劇場のアーティスティックな部分を守ることが重要。
●参加者を交えてのディスカッション
質問:マーケティング・ストラテジーという言葉が出てきたが、ドイツの舞台芸術において、それはどう機能するのか。
マティアス:マーケットという言葉には市場などの複数の意味がある。舞台芸術の場合はマーケティングというよりアゴラ・イング(広場をつくる)というのが合っているかもしれない。
質問:劇場やフェスティバルには税金(助成金)が投入されていますが、他の、たとえば小劇場ではどうでしょうか?
シュテファニー:小劇場(フリンジ・シアター)でもかならず助成金があります。もらう手段が違うだけです。
しのぶ:では、助成金をもらっていない舞台芸術公演は存在しないのですか?
シュテファニー:いいえ、民間の公演があります。でもそれは集客目的のエンターテインメントだったり、商業的で芸術作品ではなかったり。
マティアス:たとえばドイツには民間のミュージカル団体が非常に少ないです。チケット代だけでは経費がまかなえないからです。民間ではチケット代は自ずと高くなります。そうなると、高額チケットを買えない人は劇場に来られない。公共だとチケット代が安いから、(我々が)観客として居て欲しい人が来てくれます。
高萩(東京芸術劇場副館長):佐藤さんのお話を聴いて、世田谷パブリックシアターはすごかったんだなと再確認しました。(シュテファニーさんの)フェスティバルと劇場(の方向性や理念)が常に合致するわけではないというご指摘も。日本とドイツ(ヨーロッパ?)では違う。日本の公共ホールは議会と役人とうまくやっていくことが肝要です。
≪↓佐藤信さんのスライドより:地方自治法第244条第1項に注目≫
■しのぶの感想
佐藤信さんが「作品を守ることが芸術監督の一番大きな役割」とおっしゃったことに感激しました。私は『旅とあいつと…』が大好きなんです。この作品も、佐藤さんが5年間守ってきてくださったんですね。また、「拡大を抑えるのはスタッフを疲弊させないため」というご発言にも感銘を付けました。朝日新聞でちょうど「(異議あり)和食はグローバル化と無縁であるべきだ」という記事を読んだところだったんです。“グローバル企業”や“グローバル人材”という言葉がもてはやされていますが、果たしてそれが身近な幸福につながっているのかを、よく考えなければと思います。
シュテファニーさん、マティアスさん、そしてモデレーターの丸岡さんは、「公共は芸術、民間は娯楽」というような線引きをはっきりと持っていらっしゃるように思いました。マティアスさんが「スパイラルホールが地獄で座・高円寺が天国」とおっしゃったこと、シュテファニーさんが助成金についての質問の際、民間の公演が最初から頭になかったことなどから、そういう印象を持ちました。そういえばフランスもそうだと、ある演出家から聞いたことがあります。
日本は、たとえば松竹という企業が歌舞伎公演を行っていますし、民間の制作会社の公演で芸術的な作品も多くあります(チケット代は高い目ですが)。また、公共ホールの公演で娯楽性を重視した作品も多いです。私の一観客としての感覚ですが、公演の主催者が公共か民間かなんて、普段は気にしないんですよね。これは予想に過ぎないのですが、日本ではそこのところは曖昧というか、役割分担されているわけではなさそうです。そこには市村さんの「公共ホールだからできない/できる」「民間企業だからできる/できない」という問題提起も重なってきますね。私は「公共と民間の差をはっきりさせるべき/させないべき」といったことについては、よくわかっていないですが(すみません)、日本には日本独自の舞台芸術シーンがあることは確認できたように思います。そこで自分が信じるより良い環境を追及し続ければいいのではないかと思いました。
舞台芸術制作者オープンネットワーク 第3回文化政策委員会
「公共・劇場について考えるー劇場法制定を受けて」
<日程>2013年12月4日(水) 10:00~13:00
<登壇者(50音順)> 市村作知雄(東京芸術大学准教授、F/T実行委員長)、佐藤信(座・高円寺 芸術監督)、シュテファニー・カープ(ウィーン芸術週間・演劇部門 前・ディレクター)、マティアス・ピース(ムーザントゥルム芸術監督) モデレーター:丸岡ひろみ(PARC理事長、TPAMディレクター)
<会場>東京芸術劇場プレイハウス ロビー
<参加費>500円(通訳費として)
主催:舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM) 担当:武田知也、相馬千秋 共催: フェスティバル/トーキョー 協力: 東京芸術劇場
http://www.onpam.net/
※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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