世界一有名と言っていいであろう89歳の演出家、ピーター・ブルックさんのドキュメンタリー映画を観てきました。最初は「ピーター・ブルックのザ・タイトロープ」というタイトルだったんですけどね。
演劇関係者、演劇ファンの方々には当然ながら見応えのある作品だと思います。また、ブルックさんのたたずまい、言葉の発し方、そして言葉そのものは、普段の生活へのアドバイスだし、生き方のヒントにもなると思います。
以下に映画の公式facebookページに投稿されていたブルックさんの言葉を転載します。劇場で買えるパンフレット(800円)にも載っているものだと思います。
俳優の表情がとても瑞々しくて、特に黒髪の女優さんの演技が好きでした。
9.20公開『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』予告編↓
●人は何をするにしても、
どんな表現に携わる人でも、
例えば音楽、ダンス、演技、演劇でも
「自分と観客の時間は過ぎていく」、
それを心に留めておくべきだ。
時の一粒ひとつぶが、
大切で無視しては危険だとね。
●困難な経験を通して我々が得るものは
決してネガティブなものではなく、
課されたものに立ち戻る喜びだ。
バランス感覚というものは頭でかんがえることではない。
常に新しいなにかにリニューアルされるべきものだ。
●視点というのは、心から信じていなければ意味がない。
命を賭しても守らなければならないものだ。
とはいっても、同時に、小さな内なる声が
”しっかりつかめ、そっと放せ”と
僕の心の中でささやいてもいる。
●砂時計を見ていると、
小さな砂が一粒ずつ上から下に落ちてくる。
その一粒に時の意味を感じとる。
中世の人はこれを見て
「人生は短く、一瞬たりとも無駄にできない」ことに
気づいていた。
まさにこのイメージを自分の奥底に、
無意識に持たなければいけない。
演劇に携わる以上はね。
●理論は役立つし良い本もある。
学校にもある程度長所がある。
しかし演劇の本物の行為というものは、
人の心に触れ、痕跡を残すこと。
クォリティーと呼べるものまで、
昇華された演劇はより骨太で、
より品格のあるものであり、
演劇そのものに生命が息吹き人生が描かれるようになる。
●とても興味深いことに、人の芝居をよく観察していると、
2つのことに気づくはずだ。一つは隠れた難しさだ。
明らかな難しさではなく、
オペラや演劇、どんな舞台でも、
どの一瞬にも当てはまること。
前もって決まったものではなく、
何百分の一秒単位で起こっている、
自分で見つけるしかないもの。
そしてその自由さは、どこから生まれてくるのか?
自由はどこにでも、転がっているものだが、
自分を超えた何かが生まれてくると、
我々はいつも驚く。「何かに動かされた」と。
さて、どう見つける?
●私が重要視しているのは
どんな言語でも“演じる”を
“プレイ”すると表現する点だ。
悲劇も“プレイ”オイディプスもイカオスも
“プレイ”する。
フランス語では“ジュエ”。
演じると同義だ。
ドイツ語は“シュピーレン”
演技はいつも喜びに溢れてる。
●基準を上げる
このワークショップ(綱渡り)を
役者たちと行うことで、
皆が達成したことというのは
「技術を習得した」とか、
「もう安心して演技ができる」と感じることではない。
「自分はかつてないほど豊かな真理に直面した。
それを糧とするには自分の基準を引き上げ、
さらなる努力が必要なんだ。」と気づくことだ。
●インスピレーションとはどういう意味だろう?
懸命に試しても降りてこない。
それがやってくるのは、ほんの一瞬のモーメントだ。
一瞬だけ動く「沈黙」の時だよ。
●感動は長く続かない
役者が動き出せば装飾は邪魔になる。
人はなにか意味を“匂わされる”方が
展開を期待し興味を持ち続けられる。
幕が開いた瞬間あとの展開は見えてはダメだ。
ワクワクさせるんだ。
●脳は共有される
脳科学者は集団思考の根源を、重要とは考えていない。
「脳とはなにか」を言うだけ。
だが脳は「共有」されることがある。
音楽に合わせて演じる時や日本の鼓童の音楽や、
バリの音楽集団などは、
最初の音をピッタリ合わせられる。誰の合図も要らない。
●人のこころに触れ、痕跡を残すこと
理論は役立つし良い本もある。
学校にもある程度長所がある。
しかし演劇の本物の行為というものは、
人の心に触れ、痕跡を残すこと。
クォリティーとよべるものまで、
昇華された演劇はより骨太で、
より品格のあるものであり、
演劇そのものに生命が息吹き人生が描かれるようになる。
役者や演出家がたどる道筋を照らし教え導いてくれる。
それこそがまさに深淵の上層に
横たわる果てしない“綱渡り”なのだが、
いつも人はその深淵にあまりにたやすく落ちてしまう。
●困難な経験を通して我々が得るものは
決してネガティブなものではなく、
課されたものに立ち戻る喜びだ。
バランス感覚というものは頭でかんがえることではない。
常に新しいなにかにリニューアルされるべきものだ。
バランスを取るとは、目標へ向けて前進すると同時に、
身に降り掛かる要素をコントロールすること。
綱渡りもお芝居もスポーツも人生も皆同じ。
鋭い剃刀の上を歩くような、完璧なバランスが求められる、
なにごとも、“バランス”がすべてなのだ。
●内なる生命力といのちの飛躍
大切なモーメントは、一つの動きが終わる次に移る瞬間だ。
次の場所では動きの中にある
“いのちの飛躍”を見いだすことが重要だ。
新しい力を感じるのは“気”なのだ。
自分の内側にある“気”と“生命力”を発展させるのだ。
滝をくぐり抜けるには特別な努力がいる。
火の中を歩くには、痛みや恐怖といった敵に
打ち勝つ努力が必要だ。新しいテンポを生み出すんだよ。
歩き方も動きもすべて違うテンポだ。
それが新しい力となる。
同じことを繰り返していてはダメだ。
●あまりにも早く終わり方を決めてしまうと、
人は探求をやめてしまう。
自分自身の可能性が失われてしまうのだ。
大事なのは終わりには、
終わりがないということ。
芝居の終わりに一番大事なのは喝采じゃない。
リアリティに触れたら次はなにもない瞬間が来る。
観客の中に息を呑むような沈黙が
生まれる瞬間が一瞬だけあって、
それからいつもの拍手となる。
それこそがラストに最も重要なことだ。
●テンポの正体
日常で起こることを抽出したエッセンス。
それこそがテンポの正体だ。
日常生活の中で実際におこりうる
数分のことかもしれないし、
数時間かもしれない。
それが何かを見つけることが
最も重要なことなのだ。
誰かが物語を語るように、
テンポが生まれるのはなぜなのか、
虫の知らせや直感ではなく、
論理的に知ることだ。それこそが綱渡りなんだ。
●芝居とは普通を演じること
既に経験していることに気づくことが重要だ。
一瞬のリアリティをしっかり追うんだ。
真実があればセットは不要。芝居とは、普通を演じることだ。
演技は判断やコメントを加える作業とは違う。
常に自分自身の中でリアリティを追求する作業なんだ。
この真実に向き合う勇気なしでは演技のレベルは向上しない、
それぞれにとって自分の中の火や滝がいったいなんなのか、
気づくことができれば、通りぬけられる。
体の各部分が一つの目的に向かう「自由さ」が重要だ。
●芝居の喜びの本質
皆も経験したことがあると思うけど、
いわゆる演技や芝居と呼ばれるものには
必ず顧客と一体になれる瞬間がある。
突然自由な何かに包まれかつてない喜びが生まれるのだ。
日常の生活でもその喜びを味わえたらいいが、
聖人でもなければ無理な話だ。
でも集中した芝居の世界の中でなら
ほんの一瞬だとしても感じられる。
だから即興をする時でも大きな違いはないんだ。
喜劇でもシリアスな劇でも自分の中に喜びがある。
力量に依存したコメディには生命が宿らない。
技術に頼った悲劇にも命は吹き込まれない。
言葉にできないし分析できないことでも、
感受性を発揮すればいい。
役者が自由さのなかで芝居の世界に
没頭することで得られる、あの感覚だ。
「集中しなくちゃ」と言い聞かせてダメだ。
世界観に没入している感覚を喜びに変えるんだ。
これが芝居の喜びだ。
●人の心を釘付けにするには、役者の前進に“なにか”が
宿る必要がある。お互いをよく観察してごらん?
大きな広がりが見えてくる。“綱渡り”という些細な動きに
必要なのは身体的なことだけではない。
役者や舞台に関わるすべての人と、
自分が完全に一体となること。
それはつまり想像力がすべてということだ。
うまく綱を渡る技術だけに集中してればいいわけじゃない。
想像力とは役者の特別な力であって、
頭で考えるイマジネーションではなく、
もっと強く生きている想像力だ。
そうすれば身体全体がただ歩いているだけ以上に変わってくる。
舞台の一部になりきり身を置けば、
どんな場面でも豊かに表現できるようになる。
『Peter Brook: The Tightrope』ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)
出演:ピーター・ブルック、他
監督:サイモン・ブルック
2014年 フランス・イタリア映画 1時間26分
http://www.peterbrook.jp/
https://www.facebook.com/PBokeiko
※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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