飴屋法水さんが山下澄人さんの小説を舞台化するという、佐々木敦さんの企画です。山下さんは富良野塾出身でFICTIONという団体で演劇公演もされていました(過去レビュー⇒1、2)。今は小説家として芥川賞候補にもなるほど、ご活躍中です。
初日は5分押し開演で上演時間は約1時間45分。前売りは瞬殺でしたが当日券あり。立ち見でかなりの人数、入られていました。おそらく先着順の整理番号順入場です(支払い済み/未払いの差はあるかも)。当日券狙いのお客様も多いので劇場へはお早めにどうぞ。外に開放された空間で寒さ対策必要かと思います。追加公演あり。詳細は公式サイトでご確認ください。
⇒CoRich舞台芸術!『飴屋法水「コルバトントリ、」』
≪あらすじ≫
目の不自由な女の子。路上ミュージシャン。女児とその両親。日常生活のごく普通のディスコミュニケーションと、ごく平凡な死、など。
≪ここまで≫
SNACの奥側が客席で入り口側が舞台になっており、場内と外の間の引き戸はすべて解放状態ですので、会場の外の道路と風景がそのまま借景されます。昼と夜とでは印象が様変わりしそうです。
1対1の会話から物語の背景がわかってきて、短いエピソードが紹介されていく内に、誰かの死が他の人の死と重なったり、2人の俳優が実は同一人物なのではないかと想像させたり、さまざまな見立てができる構造になっていました。
山下澄人さんはやはり演技がうまいです。そして斬れ味が鋭い、というか、怖い。FICTIONで観た時もそうでしたが、刺されているような気がする。でも観客に言葉を、意味を、面白さを伝えようとしてる気持ちがはっきりと感じられるから、彼が話すことは全部目に、耳に、入ってくる。そして姿が大きく見えるんですよね。その意味では飴屋法水さんもそうでした。
あるエピソードを演じる以外に、原作者本人に迫る(ように見える)場面がありました。そこが飴屋作品の魅力でもあり、「原作者と演出家が同時に舞台に立つ」という今回の企画の魅力でもあると思います。
飴屋さんの演劇作品には必ず、ライブで観る意味があるように思います。今、その瞬間、目撃していることの価値が、必ず用意されている。それは驚くべきハプニング(のように上演すること)だったり、嘘がない真実の姿を表す(ように演じる)ことだったり。常に背水の陣でいるような、つまり、毎ステージごとに生まれて、生きて、死ぬような、そんな境地でいらっしゃるのではないかと想像しています。だから見逃したくないんですよね。
ただ、私もずいぶんと変化してきてまして、もう何年も前から言っていることですが、技術のない俳優はあまり観たくないんです。自分自身でありながら、役人物でもあり、それを俯瞰する視点も同時に持っていて、さらに観客への意識も開かれていて、能動的にかかわっていく意志がある俳優が観たいです。
ここからネタバレします。セリフ等は正確ではありません。
ネタバレ前に書きましたとおり、届いて来ない演技にはあまり集中できず、残念ながら聞き流してしまったり眠ってしまったりしたので、正確性には欠けると思います。
飴屋さんが客席上手側の音響ブースからマイクを2本持って出てきて、舞台で山下さんと2人で話す場面がありました。前半と後半の間にあたる時間です。飴屋さんが「山下澄人さんです」と紹介し、まるでアドリブで会話が進んでいるような印象でした。山下さんは1995年の阪神淡路大震災の2日前に北海道の富良野に行ったため、震災には遭いませんでした。家は全壊で彼の布団の上に屋根が落ちていたそうです。つまりもし家に居たら死んでいたということ。そして飴屋さんは、小説を書く時、山下さんは必ず富良野に滞在していることを指摘します。「もしかすると山下さんはこの世界に生きていることが、自分に似合っていないと思っているのではないか」と持論を展開し、後半へ(その前にガチの腕相撲もしてましたが)。
山下さん演じる男性は、妻(安藤真理)に「あなたに似合うものなんて、この世の中に1つもない」と言われていました。コミカルな会話でありつつ、夫婦の、というか人間のすれ違いがよく表れていた場面で、私はかなり妻の方に共感していました。山下さんは確かに、この世間にフィットしていない気がする。ボーダーシャツも似合ってないし、カジュアルルック自体がどうも不似合い。どんな服なら似合うだろう…着流しならかっこよさそう!そうだ、生きてる時代が合っていないのかも。数百年前か、もしかしたらもっともっと未来に生まれていたら良かったのかな…などと勝手な想像をしていました。
妻はやがて「私は死にました」と告白をします。ダンプカーが夫に見えて、それをよけなかったせいで事故死したとか。妻役の安藤さんはスタスタと下手へと歩いていき、白い壁にドン!と体をぶつけました。安藤さんは衝突を想起させるその動作を、ずっと続けます。中央では青柳さんが母親の遺体を前に語り始めました。安藤さんは青柳さん演じる足の不自由な少女の母親も演じていたので、下手と中央に遺体があるけれど、死者は1人だけのような不思議な感覚になります。青柳さんが「遺体の顔に白い布を掛けるとその顔を忘れてしまう」と話しはじめた時、上手の椅子に座っていた山下さんの顔に、白い布が掛けられました。山下さんも死者になりました。
山下さんが舞台で死んだ…ということは、山下さんはこれから毎ステージ、公演が終わるまで殺され続けることになります。死んで、また生きて舞台に立ち、また死ぬことの繰り返しです。つまり1995年の神戸で彼の身に起こらなかったことを、東京で何度も体験することになるんじゃないか。もしかしたら、それを通じて、山下さんはこの世界に似合う(世界が山下さんに似合う)ようになるのかもしれない…そんな妄想をしました。
青柳いづみさんが不思議な方言(?)を話されていて、関西弁のマネのように聞こえました(原作者の山下さんが兵庫県出身なのもあり)。私は大阪出身なのでどうしても気になってしまいました。新しい発音を作るぐらいに徹底してくれるならいいんですけど、方言って難しいですよね。
飴屋法水演出・SNAC「コルバトントリ、」初日は5分押し開演で上演時間は約1時間45分。山下澄人さんはやはり演技が巧く斬れ味鋭い。原作者本人にガチで迫る(ように見える)姿勢が好き。常に背水の陣。当日券狙いのお客様も多いのでお早めに劇場へ。外に開放された空間で寒さ対策必要かと。
— 高野しのぶ (@shinorev) 2015, 4月 4
なんというか「コルバトントリ、」はひとつ公演が終わるごとにその度に1回死んだような気持ち。今まで4回死んだ。あと8回生きて8回死ぬ。
— ころすけ (@kurucoro) 2015, 4月 9
SNAC パフォーマンス・シリーズ 2015 vol.1
出演:青柳いづみ、安藤真理、郷拓郎、山下澄人、飴屋法水、グルパリ、くるみ、ほか
原作:山下澄人「コルバトントリ」(文藝春秋刊)ほか 上演台本、音響、美術、演出:飴屋法水 衣装:コロスケ 演出助手:C コロスケ グラフィックデザイン・記録写真:石塚俊 記録映像:河合宏樹 栗屋武史 前島ももこ(Pool Side Nagaya) 録音:葛西敏彦 企画:佐々木敦 制作:土屋光 制作協力:植松幸太 現場スタッフ:立川貴一 桒野有香 印刷・製本協力:露木印刷 古都稔 スペシャルサンクス:小駒豪 池田野歩 制作:SNAC 主催:吾妻橋ダンスクロッシング実行委員会
前売券:3,500円 当日券:3,800円
http://snac.in/?p=4009
※クレジットはわかる範囲で載せています。順不同。正確な情報は公式サイト等でご確認ください。
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