京都の劇団八時半の脚本・演出家の鈴江俊郎さんの脚本を、文学座の松本祐子さんが演出される、男2人と女1人の3人芝居。高校の女教師と男子生徒のかけおちのお話です。
ほとんど裕木奈江さんと茂山逸平さんの2人芝居でしたね。心のままの言葉とまっすぐで大胆な演出に圧倒されました。私には初めての味わいだった気がします。この小さな、独特の世界を体験しに劇場へ足を運ばれると嬉しいです。
舞台は田舎の川沿いの旅館の一室。畳の和室が丸くふちどられて、上から見ると涙のしずくのような形をしている部屋です。ちょっと緑がかった明るい水色で、壁や畳に“汚し”が入っています。まるで水滴の中にいるように感じられます。
この作品には、脚本と演出の強い存在を感じました。鈴江さんと松本さんは、「妥協しない」という意味で共通しているのではないでしょうか。つまり一本とおった意図や思いが、がっしりとこの“小さな”作品を支えているのです。
最初は役者さんの演技のカラーに慣れるまで時間がかかりました。ちょっと大げさでクサイので。でも、交わされる言葉の正直さがあまりに度が過ぎていて刺激的だったので、次第に気にならなくなりました。ここから先ネタバレします。
残酷な脚本でした。無駄な飾りがない、というよりはあからさますぎて恐ろしいような。あんなに一刀両断に切り裂かなくてもいいのに、といたたまれない気持ちになりました。物語の顛末としては、「なんてひどい女!」と感じるのが大半でしょう。27歳の女教師が16歳の高校生を誘惑して、たぶらかして、自分の好きなように教育して、そして飽きて、捨てます。彼の人生は台無しになりました。でも、女ってそうなんです。突然、夢から覚めて素に戻って、自分の巣に帰るんです。二人で一緒に作りあげて共有してきたファンタジーをぶちこわして、ご飯を食べるし、生理が来るんです。
少年も一方的に被害者だというわけではありません。家族に迷惑をかけ、自分の未来に自分から打撃を与えておきながら、自分は子供なのだから全てはあの女のせいなのだ、という所に帰ってきます。二人の恋は最悪の結末を迎えました。きっと二人の間の子供もおろされた(殺された)でしょう。そうやって彼ら(私達人間)は間違いを繰り返します。
人間の清らかで無垢な想い、純粋な願いは、もとからあったのか新たに生まれたのか、それらは確かに自分でも気づかないほど心の奥底に存在します。それを鈴木さんは“手のひらの小人”“金魚鉢の中の象”“胸の中に住む小さなモノ”という言葉で表現されていました。私達の手のひらにも、こびとが乗っているんです。しかし、その小さなモノは甘やかすと巨大に成長し、自分も他人も全て犠牲にしてその願いをまっとうしようとします。私達はこの現代社会において、か弱く灯るそれらの宝物を守り育てられないまま、あきらめて、我慢して生きています。
土砂降りの雨に打たれながら、裕木さんと茂山さんが、まっすぐに同じセリフを連呼し続けるラストシーンは圧巻です。役者さんだけでなく布団もカバンも、何もかもが水浸しで、舞台は大きな水溜りになりました。目が開けていられなくなるほど強く降り落ちる水は、自然および世界そのものを象徴しているようでした。人間はその大いなる力の前に無力で、ただ立ち尽くすのみです。
そして二人が伝えていたセリフはおよそこういう意味だったと私には感じられました。優しい人間に、暖かい人間になれるまで、恋に落ちたことを純粋な喜びとして受け入れられるような、生まれてくるであろう命を何のためらいもなく喜べるような、そんな世界になるまで、100年も1000年も1万年もかかるかもしれない。永遠に遠い未来になってしまうかもしれないけれど、けれどもきっと雨は、その時まで振り続けてくれる。私達を見守っていてくれる。絶望的な悲劇の後に、赦しと戒めが表現されていました。
二人が愛を育もうとした旅館の小さな和室は、しずくの中のようでもあり、鳥かごのようでした。独白しながら七転八倒する二人をふんわりと閉じ込めます。
女が去った後、少年が怒りをぶちまけて襖や戸を破ると、廊下や棚が消えて黒い空洞になっていました。二人の愛が空っぽになった、もしくはそもそも何もなかったことが痛いほど伝わってきました。
照明は舞台面を線がいくつも重なり合うように照らします。小さな床の間が舞台中央にあり、そこにおかれた金魚鉢をスポットライトで斜めから照らすのは、あからさまだしストレートです。
セリフが難しいです。会話をしているかと思ったら突然に詩の朗読のようになったします。細かいところなのですが、「~~~なのさぁ」というように、語尾が「さ」になるセリフがとても多かったのですが、同じニュアンスになりがちでしたね。何かしら変化をつけてもらいたかったです。檀臣幸さんの「さぁ」は口癖ではなく方言のように聞こえて良かったと思います。
男教師が去り際に「俺達は考えよう。しっかり考えよう。」という意味のセリフを言ったのが印象に強く残っています。まずは立ち止まって考えるということが必要なんじゃないかと思いました。
裕木奈江さんさん。女教師役。困った時だけ目が笑う。禁じられた恋に燃える。逆境にときめく。ずーっと優等生だった。イヤな女ですよね(笑)。ぴったりだった気がします。特に悪党ぶりを存分に発揮した後、もう一度戻ってきて(本当は戻っていませんが)雨に打たれている姿を見ている時に、あぁこの人がこの役ですごく良かったなーと思いました。追いかけちゃいそうです。
茂山逸平さん。登場してきた時、私には彼がおバカさんに見えなかったです。学校の成績が悪くて家庭環境もあまり良くない高校生役ですよね?やっぱり茂山さんご自身の育ちの良さがどうしても出てしまうのかしら(笑)。それはそれですごく素敵なのですが、この役自体には少し遠かった気もします。でも、子供ならではの純粋さと頼りなさが全身から感じられるのは、茂山さんの持ち物だなーと思いました。
檀臣幸さん。とにかく服や布団をたたみ続けるエリート教師役。面白い・・・何を言っても大爆笑。出てきただけですぐ例の男教師だとわかりました。その姿にしっかりと現実を背負って出てきて、か弱い夢の中でもぞもぞと、何かと戦っているつもりになっている甘い二人の前に立ちふさがってくれました。
作 :鈴江俊郎 演出 :松本祐子
美術 :礒沼陽子 照明 :沢田祐二 音響 :高橋巖 衣裳 :前田文子 アクション :渥美博 演出助手 :城田美樹 舞台監督 :加藤高
出演:裕木奈江 茂山逸平 檀臣幸
新国立劇場:http://www.nntt.jac.go.jp/